の死の谷への道を安んじて、恰も生命の門に進むが如く、平然と寧ろあらゆる空しき影に無限の希望を置き、喜びをさへ感じて生きてゐる矛盾を、無頓着を、冷淡を、倦怠を痛感して、此処に改めて自分に対する反抗と、嫌悪の念がむづ[#「むづ」に傍点]の走るが如く、心に湧き起つた。そして自分は此急激な霊の嘔吐を押へる対症療法として、短時間のうちに、今まで漠然として感じてゐたことを、どうか纏まりをつけねばならなくなつた。どんなふうに解決をつけたか、それを詳しくいふことになれば、如何に一夜づけでも十枚や二十枚では書き足りないから、只一言にして尽くすことにすれば、それは至極平凡なもので、武郎[#「武郎」に丸傍点]君の「我は知る、故に我は在る」よりも、もうちつと前なる意識に溯つて「我は感ず、故に我はある」sencio, ergo sum といふ生存の根帯を肯定して次には「在る」という事実はその終りが死であらうと、滅亡であらうと、又その「在る」道程が美であらうと、醜であらうと、善であらうと、悪であらうとに論なく、あらんとするその慾望であつて、我を中心に見た、一切のものは之に根ざしてゐる。此慾望を指して人は愛とよぶも
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