はミスアンスロツプであるか、さもなければ境遇上から、又は能動的に求めて、霊肉の苦行を経た人であると。象牙の椅子に倚《よ》りて、民の疾苦を説く政治家の態度を学ぶフイランスロプは盲目的な獣類の愛、非常に Selfish−ness を含む危険に陥り易い。今我々の間には斯るフイランスロツプが甚だ多くはないだらうか。自分はこれを厭ふ余りにその反端のカリカチユーリストになつたではあるまいか。しかし他人のことはどうでもかまはない。自分は今後此立場から大に厭人的の苦《に》がい憎悪を吐き散らして呉れようと決心した。そして若し生命そのものが愛といふものであるならば、此苦い憎悪の中から、棘《とげ》と、渋皮の奥なる甘い栗を取り出すやうに、美味な純真な愛に到達しようと思ふ。尤《もつと》も生物の死滅は個体として、種属として、又全体より見て、如何にしても免れぬことで、生命の飛躍といひ、霊魂の不滅といふも、そは只|奇《く》しき夢を見るべく運命づけられた人間のあこがれの幻影で、愛は美酒《うまざけ》の一場の酔に過ぎないことは、千古の鉄案として動かせないのであるが、我れ感じ、我れ生きて、なほ只生きんと衝動の波に押しすゝめられて行く間は、せめては冷たく、堅く、物凄い真理のゴルゴンの見えぬやう、愛なる酒に酔うて、幻滅に開かんとする眼を眩《くら》まして置かう。自分には「虚無に立脚した力強い肯定も」出来ねば、「絶望の法悦」も味ははれぬ身であるから、輪廻《りんね》を想うて非常な悒鬱、絶望に陥りかけたニイチエか Uacht Zum Nille を高調し、そこに悦ばしい生命の隠遁所を発見したやうに憎悪を通じて自己肯定へ進まう。
[#地から2字上げ](大正九・八「新潮」)
底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年1月30日改版初版発行
1979(昭和54)年4月30日改版14版発行
初出:「新潮」
1920(大正9)年8月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:土屋隆
2008年3月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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