た。初めダーリンの弟子で『月』Maanen といふフランス式の詩を處女作として書きましたが、後ち、國民の日常生活をうたふ詩人として不朽の名を殘し、今日でもベルマン祭が行はれてゐるほど一般に愛好せられてをります。
       十六、ロマン主義運動
 ドイツに始まつたローマン主義運動は十九世紀の始まると共にスカンヂナヴィアにもはいつて來ました。中にもデンマルクでは最も美しい實を結びました。このローマン主義の輸入者はドイツ生れのスタッフェルト A. W. Staffeldt で、一時はエー※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ル以來の大抒情詩人と言はれましたが、間もなく、その感化を受けたエーレンシュレーゲル 〔Oehlenschla:ger〕 にすつかり壓倒されて了ひました。エーレンシュレーゲルはドイツ人を父にもち、母もドイツで教育を受けたデンマルク婦人で、自分でもよくドイツ語で著作したといひます。彼の作でよく引き合ひに出されるのは『アラディン、或は不思議なランプ』であります。ゲーテの知己であり、ヘッベル Hebbel とも交はりがあつて、半分はドイツ人で、全然ドイツ・ローマン派の影響の下
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