lexander Kieland と、ヨナス・リエ Jonas Lie とがあります。イプセンとビョルンソンについては、餘りによく知られてをるので、此處に省略して何にも申しません。只、一言、申したいことは、故郷には貴ばれぬ豫言者でありながら、なほ自國の傳統に深い執着をもつたイプセンと、農民文學の新らしい型を出したビョルンソンとは、今日、我々の再檢討を要する、何物かをもつてはゐないだらうかといふことです。ビェランはその文體の明快と情調の輕さで日本人にも好かれてゐますが、リエは殆んど知られてをりません。北歐らしく憂鬱な情調が好かれぬのかも知れません。二人とも自然主義系統の作家で、社會の暗黒面を容赦なくあばいてゐるところは同じでありますが、到底フランス人のやうに冷血な經驗の分析者であり、絶望的運命觀の上に立つことは出來なかつた處にスカンヂナヴィア人の生地があらはれてゐます。
この外、コレット Collet、ヴィニェ Vinje、ガルボル Galborg、エルステル Erster、スクラム Skram 等此の時代に著名な作家が輩出してをりますが、此處には割愛しておきます。
一口に言ふと、この時代の文學は寫實的であり、問題的であり、自由戀愛、個人の自由、婦人の解放などに力を入れたのがその特徴であります。
二十三、結論
私は前に、ローマン主義がスカンヂナヴィア文學の主流であるやうに申しましたが、この事はいつの時代の何人の作を讀んでも直ちに感ずる處であります。スカンヂナヴィアには遂に一人のフロォベルもモォパッサンも出ませんでした。所謂四大文豪以來、現在までの大勢を支配するものはやはり寫實を基とした新ローマンチックであります。我々がよく知つてゐるヨハン・ボーエルを、北歐のモォパッサンなどといふ人がありますが、これは極めて淺薄な見方で、彼は徹頭徹尾ローマンチストで理想家であります。ハムスンの如きは、自分の自然主義的色彩をもつ『飢ゑ』から『パン』(拙譯『白夜の牧歌』)の如き自然に耽溺する夢想の作家となり、『土の惠み』以來漂浪主義となつてをります。ビョルンソンとは形の變つた農民文學のハンス・エ・キンク Hans E. Kinck 又現にその方面で活躍してゐるオーラヴ・ドウン Olav Duun、カトリック主義のシグリド・ウンセット Sigrid Undset 等のノル
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