Nynorsk をランスモール Landsmaal とよび、國粹を主張する人々はこれを以て、一公用語を排斥せんとしてをります。そしてもう久しいながら、この新ノルウェイ語で堂々たる大作家の作が幾つも出て、その勢力も段々加はつてをりますが、在來は勿論、今日でも Riksmaal の作家が、イプセン、ビョルンソンを初め、八分通りを占めてをりますから、デンマルクとノルウェイとは同じ國語の文學をもつてゐると言つても誤りではありません。しかも、デンマルク、ノルウェイ語と新ノルウェイ語との差は極めて僅かであります。まだスウェデン文學は、その國語たるスウェデン語で書かれてゐますが、瑞典語と他の二國語との相違は殆んどいくらもないといつてよろしいので、まづ東京語と、名古屋語と、大阪語とのちがひくらゐと言へば言へませう。ですから、私がスカンヂナヴィア文學は同じ語を基礎としてゐると申しても、ごく大まかな意味で、ゆるされると思ひます。
 そこで、宗教政革が來て、國語の尊重、國語文學の隆盛となり、遂にデンマルク、ノルウェイ文學に巨人ルゥドヴィク・ホルベルの[#「ホルベルの」は底本では「ポルベルの」]出現を見るに至り、スカンヂナヴィア文學に大きな光明をなげることになりました。
       十三、諷刺劇の盛時
 ホルベル Johan Ludvig Holberg は一六八四年、ノルウェイのベルゲンで生まれ、青年時代にデンマルクの首府ケェプペンパヴンに移り住み、一五七五年[#「一五七五年」はママ]に亡くなりました。歴史、地理、科學、法律、哲學、言語學など、あらゆる方面に精通してゐましたが、それよりも喜劇作家として、非常な名聲をはせ、スカンヂナヴィアのモリエールといふ名を受けました。當時の社會の裏面をありのまゝにさらけ出して、鋭い諷刺をほしいまゝにしました。スウィフトの『ガリバー巡島記』にヒントを得たやうな『ニェルス・クリームの地下旅行』Niels Klims Underjodiska Reis といふ物語の如きは、餘りにも眞に迫つて、偶然事實と符合したので、これは自分のことを惡口したものだと、譏誹の訴へを起したものすらありました。
 ホルベルの劇は北ドイツでも盛んに演じられました。またホルベルが、一七二三年に、その第一作を出すまでは、デンマルク、ノルウェイも劇といふものは、ほんの僅かより知られて
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