出鱈目なのには腹が立つ。
イプセンの日本譯が最も多く出たのは、明治の末から、大正の初め頃にかけてであつた。千葉掬香がイプセンの所謂散文劇の五六篇を譯して警醒社から出し、それからやがて、森鴎外、島村抱月、中村吉藏、楠山正雄、秋田雨雀など次々に問題劇を譯した。
最も多くの人により譯されたのは『人形の家』であらう。獨和對譯といふやうなものまでも加へると、殆んど七八種に上りはせぬかと思ふ。
『ヘッダ・ガーブレル』『幽靈』『海の夫人』『小さなイヨルフ』『棟梁ソルネス』『ロスメルスホルム』『野鴨』『ヨン・ガブリエル・ボルクマン』『我等死者の目醒むるとき』『人民の敵』など多きは四五種ぐらゐ、少くとも二種は飜譯があらう。『社會の柱』もたしか千葉掬香の譯があつたと思ふ。『人民の敵』には太田海軍大佐の譯があるのは妙である。しかも此の人、時の海軍政策を攻撃して失職し、その鬱憤がとんで此の譯が成つたのだといふから、一層妙である。出來榮えは知らず。散文劇はみな譯されてゐると思ふが、『青年結社』だけがどうか。見た覺えがないやうな氣もするが確かでない。韻文劇では『ブラン』は中村吉藏の譯が古くから有り、『ペール・
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