から斷言は出來ないが、それを底本にしたと稱する日本譯を見ると、『お前も、やつぱり女だなあ』といふやうに、やはり他の臺詞と同樣な現代語に譯してあるところを見ると、英譯と五十歩、百歩であらう。然しそれでは原作の冗談を言つてゐるのがはつきりしない。又その次の「だが、ノーラよ、眞面目にいふが」(この文句も斯う直譯してはだめだ)といふ臺詞も一向に引き立たない。
だから原作の眞の味を出さうとならば、
「げにも、汝は女なるよな。だが、冗談は拔きにして」といふやうな、古るめかしく、從つて冗談めいて譯さなければならない。だが、重譯には底本に遺漏があるのだから、斯うした遺憾の點はどうしても免れないであらう。尤も楠山正雄の譯では私が校訂したから、この處は「女なり」と直つてゐるが……
イプセンの日本譯について、片つ端から誤譯を指摘したのは、今は故人となつた元北大水産科の教授理學博士遠藤吉三郎であつた。遠藤博士は海藻が專門であつたので、他の學者の餘り行かないノルウェイに留學して、ノルウェイ語が出來た。そして文學が好きなところから、イプセンの全集を買つて歸つたのが、大正四年頃で、丁度、うんと出版されてゐた日本譯を、手の及ぶ限り買ひ集め、一々原文と對照して、その誤譯を指摘して博文館の雜誌『太陽』を始め、いろ/\の雜誌で、こつぴどく譯者をやつつけたのだつた。
森鴎外が一番手痛くやられ、次が島村抱月だつた。特に『人形の家』は完膚なきまでにやつつけられた。遠藤と本名を出さず、「シサベノメカリ」といふ匿名だつたので、筆者の誰なるかについて大分痛くない腹をさぐられた人もあつたらしい。シサベは博士の故郷函館の濱のアイヌ名、メカリは布刈りで、海藻取りの意味である。筆者の海藻學者たることを示してゐる。
鴎外はたまりかねたと見え、隨筆集みたやうなもので、皮肉とも、反駁とも、又泣言ともつかぬことを書いたが、すぐ遠藤博士の署名した駁撃にあひ、ギューの音も出なくなつた。
他の譯者もそれぞれ痛棒を喰はされはしたが、『小さなイヨルフ』を譯した三浦文學士(?)は割合に褒められた。そして、重譯のテキストなら、ドイツがよろしいと附言された。
間もなくイプセンはすつかり下火になつたが、昭和三年、わざ/\高い版權を買つて、その會員の手で、完全なイプセン全集を出す計畫をたて、着々準備をすすめてゐた。そして譯は全部、私がノルウェイ語の原文と引合はせて、校訂することになつてゐたが、不幸出版社の都合で、立消えとなり、そのとき出來上がつた譯稿はのち、改造文庫に入つてゐる。而して私が校訂したのは秋田雨雀の『我等死者の目醒むるとき』一篇だけである。
然しイプセンの譯を、せめては原文によつて校合しようとする企ては、新潮社の世界文學全集でも實行されて、楠山正雄譯イプセン集の六篇は一通り私の目を通したものである。只甚だ遺憾なのは、出版期日が非常に切迫してゐたので、十分精密に比較してみることを得なかつたのと、譯者が文壇の先輩であり、劇界の先覺であつたりする關係上、そのプライドを傷けないやうにする必要から、手加減の上にも手加減を加へたので、序文にあるやうに「これに依つてドイツ語全集本のすぐれた價値を確め得たこと」とは、私にはどうも言ひ得ないのである。
原書とくらべたのではないが、これはうまいな、他とは段違ひの譯だと私が思つたのは、中村吉藏の『人形の家』であつた。
要するに、イプセンの日本譯は、早くから流行つて多く發刊されたにも拘らずまだロシアの大作家たちのやうな、正確な原語譯は一つも出てゐないのである。
底本:「北歐の散策」生活社
1943(昭和18)年3月20日発行
入力:鈴木厚司
校正:土屋隆
2008年3月20日作成
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