びよせ、そのお相手になさつたのです。ジウラ王子は蒙古の王様のうちでも、成吉斯汗《ジンギスカン》のすゑだとよばれる名家の子でした。が、不幸にして早く、お父様になくなられ、それから又、近頃、お母様も死んで、孤児《みなしご》になつてゐました。だから、キャラ侯は王子の為《ため》にもよからうと思つたのです。
 ところが、ジウラ王子は年こそニナール姫よりも一つ上でしたけれど、身体《からだ》もやせて、小さく、青い顔をして、いつも隅《すみ》の方へ引つ込み、だまつてばかりゐるのでした。しかも、そのくせ、ゐばりやさんで、どうかすると「おれは蒙古の王子だぞ」といふやうに、高慢な顔をしますから、大勢の召使ひたちから、軽蔑《けいべつ》されたり、いやがられたりするだけで、一向、ニナール姫のさびしさを慰める役にはたちません。
 尤《もつと》も、ニナール姫の方だけでは、ジウラ王子がゐやうがゐまいが、そんなことはどうでもいゝので、以前とかはりなく、朗らかで、活溌《くわつぱつ》で、勇ましい男もかなはないほど大胆で、馬に乗り、鉄砲をうち、せい一ぱいにあばれてをりました。
 然《しか》し、うはべはさうでも、やはり女のことですから、心の底では、亡くなつたお母様のやさしい言葉や、美しかつた姿を、始終思ひ出して、人知れず涙をながすことがありました。つまり、烈《はげ》しい運動や、勇ましい武術をするのも、それに心をまぎらして、こんな悲しい思ひを、なるべく、少なくしようといふのでした。


    二 ラマ塔の燈火

 それから一週間ほど経《た》つた、美しい、晴れた夜でした。ニナール姫と、ジウラ王子とは、お城の庭に出て、新鮮な空気を吸つてゐました。このあたりは、満洲《まんしう》でも、ずつと北によつてゐるので、夏は日のくれるのが、大へんおそいので、人はよく夜ふかしをするのでした。
 バラに似た花の香りがして、時鳥《ほととぎす》のやうな鳥の声が聞えました。と、お城の広間の時計が、地の底まで沈むやうな深い音をたゝて、ヂーン/\と十一時を打ちました。この時計はずつと昔、支那《しな》がまだ清国《しんこく》といつた頃《ころ》、北京《ペキン》の宮城の万寿山《まんじゆさん》の御殿にかけてあつたもので、その頃、皇帝よりも勢ひをもつた西太后《せいたいごう》(皇太后)の御機嫌《ごきげん》とりに、外国から贈つたものを、ニナール姫のお祖父様《
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