折、磧の手巾は再び揚りて夫婦を呼びぬ、
 この留別場に女はただ阿園のみなりき、彼は今泣き顔を水に流し、給士|酌《しゃく》一人して立ち働き、一坐の雑《ざわ》めきに暫時悲しさを紛らしぬ、一坐の歓娯も彼が不運を予言するもののごとく何となく打ち湿り、互いに歌う鄙歌《ひなうた》もしばしば途切れ、たまたま唱うるものあれば和するものなく拍子抜けてついに黙りぬ、かくして時もやや移り、酒肉も尽きければ、イザと立ち上る佐太郎を力に、勇蔵も力なく立ち上り、一同も皆立ち上りて塘を出づれば、名残りの柳は一群の人を双方にふり分けぬ、二人は見返りの橋をわたり、隠しの森の端に沿い、行き行きて影も遠くなり、森のあなたに影消ゆれば、跡はただ大仏川のみ行方も知らず流れゆきぬ、

     中

 村落は今|※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]秧《そうおう》すみてしばらくは農事|閑《ひま》なり、あたかも賊軍熊本を退き世間の物情とみに開けし折なりければ、村人もまた瓢箪《ひょうたん》を負い行廚《こうちゅう》を持ち、いずこより借り来たりけん二三の望遠鏡さえ携えつつ、戦争見物とて交る交る高きに登れ
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