郎もまたこの家に以前よりは繁く通いぬ、されど村人は皆彼が謹直なるを思い、この家との旧《ふる》き好《よし》みを思い、勇蔵とともに戦地に赴《おもむ》きしことを思い、勇蔵が亡き後事大小となく皆彼が義務なるを思いつ、ただに彼を怪しまざるのみならず、彼が経験なき壮年の身にしては、頼みなき身を慰むることの行き届けるに、感心したり、阿園はまた二三日ごとに墓の掃除せられ、毎朝己れに先だって線香立ち、花|※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》され、花筒の水も新《あら》たまり、寺の御堂にも香の煙|薫《くゆ》らし賽銭《さいせん》さえあがれるを見、また佐太郎が訪い来るごとに、仏前に供えてとて桔梗《ききょう》、蓮華《れんげ》、女郎花《おみなえし》など交る交る贈るを見、わけても徒然《つれづれ》ごとに亡夫の昔語を語るを聞きてこの上のうも満足に思いぬ、「この人までもかくまで亡夫に懐《なつ》きてあるか」と、
そもそも勇蔵は幼なかりしころより、佐太郎とはわけて親しき寺子友達にて、常に佐太郎が家に机を列べたりしゆえ、彼が手習い道具はそのまま佐太郎が家にありき、これまではただその家の邪魔物なりしが、今は彼が縁者のためには、千金の珍宝にも易《か》えがたき遺物となれり、ある日佐太郎は半日家内を捜索して、ことごとく勇蔵が所有に属せし小道具を取り揃《そろ》えて寡婦のもとに背負いゆき、「今日はよきものを持ち来ぬ」とて寡婦の前に卸したり、その黒染めの古板と欠けたる両脚は、牧家数代の古机にして、角潰れ海に蜘蛛《くも》の網かけたる荒砥《あらと》の硯《すずり》は、彼が十歳のとき甘木の祇園《ぎおん》の縁日に買い来しものなり、雨に湿《し》みて色変りところどころ虫|蝕《く》いたる中折半紙に、御家流《おいえりゅう》文字を書きたるは、寅《とら》の年の吉書の手本、台所の曲《ゆが》める窓より剥《は》ぎ来たれる、三行書《みくだりが》きの中奉書は卯《う》の年の七夕《たなばた》、粘墨《ねばずみ》に固まりて反《そ》れたる黒毛に殕《かび》つきたるは吉書七夕の清書の棒筆、矢筈《やはず》に磨滅《まめつ》されたる墨片は、師匠の褒美《ほうび》の清輝閣なり、彼は曰《い》えり、「兄貴がこの墨を頂戴せしそのありがたがりし笑顔、今もなお目にあり、古参の子供らが捻紙《こより》つなぎの文銭もてぜひに買わんと強《し》い、あるい
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