りぬ、
 翌朝阿園が里方の父来たり、村人も皆訪い来たれり、父は佐太郎が持ち帰りし三十両を改めて己が手に納め、勇蔵は上より戦場に埋められたれば再び葬式を営むの要なきことを主張し、直ちに阿園を引き取らんと言う、村人も大概その儀を賛しぬ、佐太郎のみさきに寡婦に誓いしごとく、情なき里方の処置に対して寡婦の力となり、一身を投げて彼方此方に奔走し、ようやくにその議を翻し、寺院にも葬儀を頼み、大工にも棺槨《かんかく》を誂《あつら》え、みずから犂《すき》をとりて墓を掘り、父老、女房、勇蔵夫婦の朋友を呼びて野辺送りに立たしめたり、阿園が尼になるの一事は、里方は痛く怒りたれど、これも彼が周旋にて、忌中五十日の間ともかくもこの家にて喪を守ることを許されぬ、
 阿園が尼の願いいと切なりければ、佐太郎はなお陳述するところありしかど、里方は少しも動く様子なく、ただとにかくに此方より返事するまで待ちおるべしとのことなりければ、今は推して乞わんようもなかりき、
 この五十日間は阿園が心の還俗《げんぞく》するか、里方が尼の願いを許すか、両者その一に定まるべき期限なりし、その後里方は娘が心を回《めぐ》らさんともせず、また慰むべき人をもやらず、村人も訪い来ざれば、阿園はただ一人貧しく寂しく時々は涙にくれつつ、留守の日よりもひとしおあわれに日を送りただただ訪い来る佐太郎を待つのみなりき、げにこの家に快楽を享《う》けたりし佐太郎は、今はこの家に慰藉を報うべかりし、ある日彼は尼になるべき順序を問うべく五里はるかなる善導寺の尼院を訪いしが、落胆して帰り来たり、尼になるには父兄|親戚《しんせき》の保証を要することを阿園に告げ、次の日世に知られぬ尼院ありと伝うる彦山《ひこさん》に登り、二日の後に帰り来たり、夫ありて夫に死なれ、子ありて子に後《おく》れ、世間より捨てられたる者ならでは尼となられぬこと、されど道なき絶処虎狼の住むところには、昔信心堅固の尼の住みたる洞穴あり、このごろもまた一人の尼住みおり、ここは人間の至るところならねば、世の法律を逃るるとも後《あと》追わるべき憂いなき由を語り聞かせぬ、阿園はいかなる絶処を越えても尼になるべく思いたり、されどその洞穴の辺まで佐太郎に送られたしとも思いしなり、
 かくて一七日となり法事を営まねばならざりき、さらでも野菜なき夏の半ば、夫の留守中何事も懈《おこた》りがちなりけれ
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