えれば。滝の川帰りの商人二人。
「それじゃア扇屋としましょう。
宮崎は打ち笑い。
「ナンダ夕飯《ゆうめし》の相談か。しかし末広の扇屋とはうれしかろう。エ篠原君は……。
第十二回
所は芝の公園地。小高き岡に結構せし紅葉館と聞えしは。貴顕富豪|宴游《えんゆう》の筵《むしろ》を開くそのためには。この東京に二とは下らぬ。普請の好み料理の手ぎわは一きわなるに。今日は祝いの席《むしろ》とて。四時過ぎころより入り来る馬車人力車は。さすがに広き玄関前もところせきまでつらなりたり。こは篠原子爵が宮崎一郎の媒《なかだち》にて。松島秀子と新婚の祝宴を開くなり。故子爵が世にあらば鹿鳴館などにて西洋風の饗応《きょうおう》をひらかるべきなれど。勤には養母が好まぬと。秀子がいまだ洋風の交際になれざるのみか。親戚朋友の内には。いまだテイブルのまわりにたかりて。立ちながらの飲食いよりも。吸物膳《すいものぜん》に坐りたるをうれしとする人多かれば。わざと世におくれてここに筵を開きしなり。
宮崎一郎「お前様誠におめでとうござります。
篠原母「ほんにお蔭様でよい嫁をとりまして。誠に安心致しました」と口にはいえど目元には。どこやらうるみの見ゆるもことわりなりと。一郎はことほぎ詞《ことば》も深くはいわず。すべり出でたるその跡より一座の人々誰彼とおのがまにまに祝いを述べつ。例の斎藤はほろ酔《え》い気げんの高調子。
斎藤「オイなみ子さんじゃなかった。ミスセス宮崎。あなたとあの浜子さんとは。随分仲をよくしていたようだったが。あんなことになってしまい。今日なんぞはなんでも第一の上客というはずだのに。つまらないじゃアないか。浪子「さようでござります」と挨拶のみ。跡を何ともいわざるは。上座におわす篠原の女隠居に遠慮あるゆえとは斎藤心づかなく、またそろ勤に向い。
「コレ勤君あの山中というやつは。あんなわるいことをする度胸なんぞのある奴ではないが。ただ一生懸命に故大人《こたいじん》の御気げんをとろうというところから。ソレ浜子さんは御愛嬢だから。竈《かまど》に媚《こ》びるという主義から。おべっかりがあんまり過ぎて。とうとうソレ……。だがそれもしかたがない。君があれまでにしてやったのに。あいつも例のシャーつくで。結構この上もない華族様の婿がねと。大きなつらをしたっても。実はこうだ。と僕初めいうものがあるものか。そうすれア人の噂も七十五日。いつかは消えてしまうのに。あの悪婆にそそのかされて。馬鹿ナ……。とんだことをやらかしたのだ。全体あの仕事はあいつの体にない役だ。一体|色悪《いろあく》というよりは。むしろつッころばしという役の方が適当で。根っからいくじのないのサ。初めから目的もなんにもなしで。初手は故大人の御気嫌をとろうということばッかりで。浜子さんを一番だまかそうという気があったでは決してない。あの婆々《ばば》アの方だっても。向うの閨淋《ねやさび》しいところから何とか言われたので。前方から世話になっていて。まさかに恥もかかせられないとかいう。ひょんな人情ずくもその内の一分子サ。だがちょっと手を出したからには。モウあの悪婆に制せられて。トントン拍子にあれまでの仕事をしたのサ。一体人間というものは。己れに守るところがなくって。ただ外物に従って周旋すると。心にもない大悪事をしでかすもので。山中もマアそんなものサ。大きくいえば漢の荀※[#「或」の「丿」に変えて「彡」、第3水準1−84−30]《じゅんいく》が曹操《そうそう》におけるがごとしともいおうかネ。あの西郷も僕にいわすれば。やっぱりそうだ。薩摩《さつま》の壮士に擁せられ。義理でもない義理にからまれて。心にもなく叛賊《はんぞく》の汚名を流したは。守るところを失なったといわざるを得ずだ」少し小声にて m《エム》 も大分持ち出したそうだ。このごろは婆々にめしあげられて。いよいよつきだされたかもしれない。そうしてみると浜子さんはいよいよかあいそうだ。と場しらずの物語に。人々は目と目を見合わするのみ。いらえさえするものなければ。ようやくに心づきごまかしかたがた酒興に乗じ。かねて覚えの謡曲《うたい》一節《ひとふし》うたい出でたるおりから。
宮崎「実に姻縁《いんえん》は不思議なもので。愚妻などもかねてより近くは致しおりましたが、こうなろうともおもいませず。また君には……。ウーンあんなこんなかねて期せざる御縁辺はお互いにネ。
勤「さよう今までのことをかんがえると随分小説めくで。今夜の祝宴なんぞは。かのめでたしめでたしとやるところだ」と語る声斎藤の耳に入りたれば。大きな声にてめでたしめでたし。
[#ここから1字下げ]
附けて言う。松島葦男はその後大学に入り。工学を修め。卒業の後。ある一大土木の工を督し。人に名を知らるるに至り。後に宮崎一郎の
前へ
次へ
全18ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三宅 花圃 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング