ーよめた。西洋はきらいになったぞといって。実は何ですネ。この節の流行のゴオールデンヘヤの令嬢と契約したというようなわけで。今にそれがやって来るという……。
篠原「とんでもない御嫌疑《ごけんぎ》だ。実に何にもありはしないが。ツマリいやになったというわけは。一生苦楽をともにしようという目的がたたないからサ。しかし君たちのいうのもうそでない。なるほど僕の心事は一変した。欧州に遊歴して見ると。なかなかここで想像して書籍中にもとめたとは。大いにちがったところがある。実に豁然《かつぜん》通悟したところがあって。なんでも人間は道徳が大事だということにきがついた。
斎「ハテネそうして。
篠「ところが帰朝してみると。親父が例の洋癖家だろう。またそれに仕こまれたものだから。やれ今では巴里《ぱり》ではどんなかみの風が流行《はやる》の。どんな服製がはやるのと。そんなことばかり聞きたがるのサ。僕は西洋の学問と芸術には感心するが。風俗には決して心酔はしない。男女だかれあって蹈舞《とうぶ》するなんどは。あまりみともいいことでもない。それに少男少女のいまだ婚姻しないものなら。婚姻の手段の一端にて。支那《しな》にいわゆる|仲春会[#二]男女[#一]《ちゅうしゅんなんにょをかいす》という工合もあろう。それでもマア淫風《いんぷう》ならずとはいいにくい。野蛮風俗の居残りサネ。その上夫ある婦人は。その夫と蹈舞することを許さないというのはなぜだろう。千代《ちよ》をちぎって一身も同じとまでいう夫婦だから。夫婦|同士《どし》だきついておどってこそ。面白くも楽しくもありそうなものなのに。ぜひ他人とおどらなければならないというのは。その極点をいって見たらどうだろう。まおとこをしなければつまらない。という論理になるではないか。コセットで胸をつかね衛生にかかわらず。ひとえに俗眼の好むところにしたがうなども。支那で足をしばって小さくすると五十歩百歩の論サ。こんなことをいいたてればいくらもあるサ。そこで僕は西洋の風俗には感心しない。この間も親父の看病をしながら。とかくに西洋風俗のはなしがでるから。われしらず道徳論をかつぎだして。蹈舞のことなどをこなしたところが。親父はそこらが交際のごく親密なところでよいではないかというから。病人に逆らうのも。とだまっていたが。兄さんは洋行した甲斐もなく。やっぱり支那風の七歳|男女不[#レ]同
前へ 次へ
全35ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三宅 花圃 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング