けれど。
相斎「ほんとだワ」とまだあどけなき娘気の。人の心を計りかね。思わずいえばもろともに。いいはやされて今さらに。よしなきことをいいけりと。咄の絶ゆる折しもあれ。
カチカチカチ。オヤお昼飯《ひる》の柝《たく》でしょう。サア行きましょう。(かけだす音)バタバタバタ
第七回
二人|曳《び》きの車は朝夕に出入りて。風月堂の菓子折。肴籠《さかなかご》などもて来たる書生体のもの車夫など。門前にひきもきらず。これは篠原子爵の邸なれど。このほどより主はよほどの重体にて。某《なにがし》とよばるるドクトルも小首をかたむくるほどなれば。家中《やうち》の混雑一方ならず。このごろ養子|勤《つとむ》が帰朝以来。「こう忙がしくってはたまらん」など。取次ぎの書生の苦情もかしまし。今日しも少しよきようなれば。と上下《かみしも》ともに心安うおぼえて。いつしかにおさんの笑い声も耳だつほどとなりぬ。
山中はいつものごとく御看病と称《とな》えて。なにか浜子のへやにてしきりに咄しさい中なり。勤は帰朝以来何か感ずるところありて。懊悩《おうのう》として心楽しまず。机に向えばただただ神経の作用のみはげしくなりて。ますます思い乱るる妄想《もうぞう》をやるにところなし。散歩は至極適当の療治法なりと思えど。養父の病気中には傍《はた》の思わくもあれば。ほしいままに外《と》に出《い》づべくもあらず。さるほどに浜子の部屋または勝手などに折々聞ゆる笑い声も。なかなかにかんしゃく玉の発裂《はれつ》するもととなり。ともすれば天井と睨《にら》めくらをして。にがりに苦りて言葉なし。アアこの神経というものはおそろしきものなり。折にふれては鬼神|妖怪《ようかい》の眼《ま》の当りにおそいきたるかとみれば。いつしか嬋娟《せんけん》たるたおやめの側《かたわら》に立つかと思うなど。千変万化さまざまにうつり行く。げに物思う折の現《うつつ》はまた一場の夢なりかし。ややありてすこし夢のさめしようなる風情にて。あくび二ツ三ツして。やおら立ちあがりて障子を明け。庭へ出でて花壇のまわりを三べんばかりあてどもなくあるきながら。わざと浜子の部屋のあたりをさけて。おもての方へおもむろにあゆみきたれば。馬丁《べっとう》部屋の方にあたりて。ささやきかたらう声笑う声聞えけり。下ざまのことになれざる耳には。いとめずらしくおぼえられてや。やおら立ちよ
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