いわれぬ香気《におい》をただよわせていました。それらの薔薇の、美しい赤らみは、ほかではちょっと見られない程のもので、とてもやさしく、つつましく、何ともいえない静かさに満ちていました。
しかしマイダスは、彼一流の考え方から云って、この庭の薔薇を、今までのどんな薔薇よりもずっと値打のあるものとする方法を知っていました。そこで彼は一生けんめいに薔薇の藪から藪へと飛び廻って、とても根気よく彼の魔力を振《ふる》いましたので、とうとう花も蕾も一つ残らず、いやその心《しん》にもぐっていた虫までが、金になってしまいました。この結構な仕事がすっかり終らないうちに、マイダス王は朝飯に呼ばれましたが、朝の空気のために大変お腹《なか》がすいていたので、急いで宮殿へ帰って行きました。
マイダスの時代には、王様の朝御飯がどんなものだったかは、僕は本当に知らないし、又ここでそれを穿鑿《せんさく》しているわけにもゆきません。しかし、この記念すべき朝の食卓には、ホットケイキ、おいしい小さな川鱒《かわます》、ロース焼の馬鈴薯《ばれいしょ》、新鮮な茹卵《ゆでたまご》、それからコーヒーなどをマイダスに、そして姫のメアリゴウルドのためには一杯のパン入りミルクが供えてあったことと思います。とにかく、これならば王様の前に供えても恥ずかしくない朝飯でしょう。マイダス王が果してこんな朝飯を食べたかどうかは分らないが、まあこれ以上のことはなかったろうと思います。
小さなメアリゴウルドは、まだ姿を見せませんでした。マイダスは彼女を呼ぶように言って、朝飯を始めるために食卓について、姫の来るのを待っていました。公平に見て、彼は本当に姫を愛していました。今朝はまた、彼にふりかかって来た幸運のために、その愛情が一層深くなっていました。しばらくするうちに、姫がひどく泣きながら廊下をやって来るのが聞えました。姫が泣くなんて彼には意外なことでした。何故なら、メアリゴウルドは夏の日に遊びたわむれているのをよく見かけるような子供達のうちでも一番元気な一人で、年中ちょっとでも涙を流すようなことのない子でしたから。マイダスは彼女が泣きじゃくるのを聞いた時、あっと驚いて喜びそうなことをやって見せて、可愛いメアリゴウルドの機嫌を直させようと決心しました。そこで、テイブルの上へ乗り出して、彼女の鉢にさわりました。それは支那|出来《しゅったい》の鉢で、まわりに綺麗な人物が描いてありましたが、それをきらきらした金の鉢にしてしまったのです。
そのうちにメアリゴウルドが、しぶしぶと扉をあけて、目にエプロンを当てたまま、まだ胸も張り裂けるばかりに泣きじゃくりながらはいって来ました。
『おや、どうしたの、姫や!』とマイダスは叫びました。『このお天気のいい朝に、一体どうしたことじゃ?』
メアリゴウルドは目にエプロンを当てたまま、手をさし出しましたが、その手にはマイダスが今しがた金にしたばかりの薔薇の一つがありました。
『美事《みごと》じゃ!』と父は叫びました。『してこの大した金《きん》の薔薇の何処が気に入らなくて泣くのかね?』
『ああ、お父さま!』と姫はすすり泣きのうちにも、出来るだけはっきりと答えました。『これ美《うつく》しかあないわ、こんなきたない花ってないわ! あたし着物を着るとすぐに、薔薇を摘もうと思ってお庭へ駆けて行ったのよ。だって、お父さまは薔薇がお好きでしょ、あたしが摘んだのは余計にお好きでしょ。だのに、まあ、まあ! どんなことになっていたと思って? とてもひどいことになっちゃったのよ! あんなにいい匂《にお》いがして、あんなにとりどりのきれいな紅色《べにいろ》をしていた美しい薔薇が、みんな病気になってめちゃめちゃになっちゃったのよ! これ、この通り、みんなまるで黄色くなっちゃって、もう匂いもなんにもないの! 一体どうしたというんでしょうね?』
『なあんだ、わしの可愛い姫や――そんなことで泣くんじゃないよ!』とマイダスは言ったものの、姫をこんなにひどく悲しませた変化を自分の手でおこなったのだと打明けることは、恥ずかしくて出来ませんでした。『坐ってパン入りのミルクをおあがり! 何百年でも保《も》つような、こんな金の薔薇を持ってれば、一日で凋《しぼ》むようなただの薔薇となら、何時でも取換えられるからね。』
『あたしこんな薔薇はいやです!』とメアリゴウルドは叫んで、それを三|文《もん》の値打もないもののように投げ棄てました。『ちっとも匂いはないし、固い花弁が鼻を刺して痛いんだもの!』
姫はもう食卓についていましたが、黄色くなってしまった薔薇に対する悲しみで心が一杯だったので、彼女の支那鉢の驚くべき変化にも気がつきませんでした。多分その方がずっとよかったのでしょう、というのは、メアリゴウルドは、鉢のまわ
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