ン全集」で、本棚をお飾りになる日が来るのを、嬉しいとは思いませんか。』
こんな考え方が正しいとばかりはいえませんが、とにかく、いかにも清教徒の血をうけた少年ホーソンらしい手紙だと思います。
大学へはいってからの彼は、ギリシャ語やラテン語が特によく出来て、また即座に空想的な物語を考え出して、それを上手に話して聞かせるので評判になりました。「ワンダ・ブック」のお話は、どれもユースタス・ブライトという大学生が、休暇で帰って来て、子供達に話して聞かせる形になっていますが、作者はおそらく、自分の学生時代のことを思い出しながら、それを書き綴ったものと思われます。さて、「ワンダ・ブック」のことはあとにして、ホーソンの大学時代の友人の中には、後にアメリカ第一の詩人となったロングフェロウ、大統領に選ばれたピヤース、海軍にはいって名をあげたホレイショウ・ブリッヂなどがいました。
この人達は、えらくなってからも、みんなで、ホーソンにたいへん親切をつくしました。というのは、名前が少し売れて来た時でも、隣り近所の人達さえホーソンの顔を知らなかったというくらい、彼は世間ばなれのした生活を送っていたので、友達としては、何とか彼を早く世に出して、その真価を一般に知らせたい気がしたからでした。
却《かえ》って英国の方で、早くから、ホーソンの書いたものに感心している人がありましたが、彼の名が第一流の小説家としてアメリカ中に知れ渡ったのは、一八五〇年、彼が「緋文字《スカアレット・レタ》」を公にしてからでした。その次の年には「|七つの破風ある家《ザ・ハウス・オブ・セヴン・ゲイブルズ》」を出し、またその翌年には、「ワンダ・ブック」を出しました。だから、「ワンダ・ブック」は、はじめにもちょっといっておいた通り、「少年少女のために」とはいっても、作者の一番脂の乗った時分に出来た立派な文学的作品です。なお、彼の本のうちで、言い忘れてならないものに、右の諸作よりもずっと前に書かれた、不思議な美しさをもつ短編集「|云い古された話《トワイス・トウルド・テイルズ》」があります。
ホーソンは、一八六四年、彼が六十歳の時、友人の元大統領ピヤースに誘われて、旅行に出たまま、旅先プリマスの宿でなくなりました。
さて、「ワンダ・ブック」はホーソン自身の「はしがき」にもある通り、ギリシャ、ローマの神話から材料を取って、そ
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