なねえわ。そんな筈はねえがつて云つたつて、現在死なねえだからしやうがねえ。そんな理窟はねえ筈だと云つたが、その日はたうとう死なずに濟んで、隱居も首をひねりやした。ところがどうだ、これが生れた時を間違へて勘定してゐた事がわかつて、さあこれから二百七十日たつと、今度こそはほんとに死ぬぞつて事になりやした。それが二百七十日目に、ころりと死んでしまひやしたぞ。つまり誰でも死ぬ時はきまつて居るでごわすわ。わしらとこの息子も二人とも十歳にもならねえでいけなくなりやしたが、これも定命《ぢやうみやう》で、實は此の人間の生れる月といふものは一年のうちに四月《よつき》しかねえでごわす。その外の月に生れた子はどうしても十歳より上に生延《いきのび》る事がごわせん。もう三千年も前の人でお釋迦樣つつう人は究理家でごわしたなあ。人は三百六十の骨、四萬八千の毛穴ありと、ちやんと本に書いてゐやすからなあ。そればかりぢやあごわせん。何の動物には何本の骨がある。何の蟲には幾本の骨がある。何の鳥には何本の毛がある。ちやあんとしらべがとゞいてゐやすわ。ところがこれも理窟を知つて見ればわけのねえ事で、すべて動物は胎生卵生濕氣生化
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