も其處で學んだのであつた。
山國の石の多い、傾斜した町の姿は面白かつた。惠まれない天然に抵抗して土にしがみついて生きてゆく信濃の國は人の心を嶮しくしてゐる。議論好で、堅《かた》意地で、どうしても負けないぞといふ根性が深い。さういふ人の姿が、燒土にしつかりとまきついて離れない蔓草にも想ひ見る事が出來た。歡樂を知らない町の向うに、不平さうな顏をした淺間が烟を吹いてゐた。
友達の家は小諸から小一里あつた。土地の舊家で、ひつそりと廣い家だつた。縁も柱も磨き込んで黒光してゐた。私に與へられたのは新建の二階で、長方形の恰も小學校の教室の樣な部屋で、疊をかぞへたら二十五枚あつた。窓から首を出すと、空氣が澄んでゐて、遠方の山の肌迄はつきり見えた。青い草は香が高さうだつた。窓の下には細流があつた。大きな柳のかげに水車が廻つてゐた。その流から水を引いた池には、肥つた鯉が群つてゐた。夕方の景色は一層美しく、夜は星が數限りなく輝いた。山風のひやひやする野に出て見た。田圃道で出あふ人が、みんな、
「おつかれ。」
といふ挨拶をした。
次の日の朝、丘の向うの聖護院《しやうごゐん》といふ禪寺から、
「東京のお客さんが見えてゐるならお遊びにお出でなすつて。」
といふ使が來た。七十を越《こし》た老僧がたいくつして困つてゐるのだ。露を踏んで、なだらかな丘を越《こえ》て行つた。
小柄な住職は、少し黄ばんだ白髯をしごきながら、信州辯で喋つた。ペロリ/\と舌を出して、上唇をなめる癖があつた。
「近頃こちらには窒扶斯《チフス》がはやりやしてなあ、昨夜も此の先の村の者が一人いけなくなりやしたが、全體窒扶斯つうものは喰ひ度がる病だから、構はずうんと喰はせるがいゝでごわすわ。そいつを今時の醫者は、やれ何を喰はしてはいけねえのつつうて喰ひ度がるやつを喰はせねえで殺してしまふでさあ。わしら若い時|飛彈《ひだ》に行きやしたが、あちらあ赤痢が地方病でごわしてなあ、まるで村中赤痢だつつうに死ぬ者あ一人もねえでごわす。それつつうが、みんな赤痢の性質をわきまへて居るからなんで、なんでも赤痢は命にかゝはる病ではねえやつで、病人がしきりに糞をまり[#「まり」に傍点]度がつちやあ便所へ行きやせう、ところが出てえには出てえだが、さて出ねえのが此の病のきまりでごわすから、何度通つても同じだ。たゞからだをこはすばかでごわすわ。これで皆いけなくなりやすが、それにやあ病人を便所へやらねえ工風をしねえぢやいけやせん。まづ爐の上に板を渡し、又その上に蒲團を敷き、蒲團も板も病人の着物も、恰度お尻の當るところをまるく切拔きやして、病人がまり[#「まり」に傍点]度がつたつちやあ寢かしたまゝでやらせるやうにするでごわすわ。それで醫者の藥は駄目でごわすから無花果の葉を煎じていやつつう程飮ませるがいゝでごわす。飛彈ではみんなそれで助かるんで、なあに醫者の藥なんかきくもんぢやごわしねえ。一體藥つつうものは人間の壽命を延ばす事は出來ねえもので、たゞ苦痛をすくなくするばかでごわす。人間つうものは生れた時から十歳で死ぬか七十で死ぬかちやんときめられて來るものだで、藥だらうが何だらうが壽命丈はどうする事も出來るもんぢやごわしねえ。人間何時死ぬかつう事も、親の生れた時と子の生れた時さへはつきりわかつてせえゐりやあ、すつかり知れるものでごわすからなあ。××寺の先の隱居なんか何月何日何時に死ぬつて知つてたから、さあ其の日になりやすと、頭を綺麗に剃りやして、白い着物を着て、さあ今死ぬぞつつうて弟子やなんかを呼集めたが、一時間たつても二時間たつても死なねえわ。そんな筈はねえがつて云つたつて、現在死なねえだからしやうがねえ。そんな理窟はねえ筈だと云つたが、その日はたうとう死なずに濟んで、隱居も首をひねりやした。ところがどうだ、これが生れた時を間違へて勘定してゐた事がわかつて、さあこれから二百七十日たつと、今度こそはほんとに死ぬぞつて事になりやした。それが二百七十日目に、ころりと死んでしまひやしたぞ。つまり誰でも死ぬ時はきまつて居るでごわすわ。わしらとこの息子も二人とも十歳にもならねえでいけなくなりやしたが、これも定命《ぢやうみやう》で、實は此の人間の生れる月といふものは一年のうちに四月《よつき》しかねえでごわす。その外の月に生れた子はどうしても十歳より上に生延《いきのび》る事がごわせん。もう三千年も前の人でお釋迦樣つつう人は究理家でごわしたなあ。人は三百六十の骨、四萬八千の毛穴ありと、ちやんと本に書いてゐやすからなあ。そればかりぢやあごわせん。何の動物には何本の骨がある。何の蟲には幾本の骨がある。何の鳥には何本の毛がある。ちやあんとしらべがとゞいてゐやすわ。ところがこれも理窟を知つて見ればわけのねえ事で、すべて動物は胎生卵生濕氣生化
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