晴の空にそそり立つ此の國の山々の姿を想ひ描くのである。
 山といふと、私は第一に淺間山をなつかしく思ふ。燒土ばかりの富士の山は、遙かに下界から仰ぎ見るをよしとする。空氣の固く冷たい信濃の高原の落葉松《からまつ》の林の向うに烟を吐く淺間は生きて居る。詩がある。私はまだ、山の彼方に幸ひの國があると夢見てゐた少年の日に登つた。
 もつとも、一度は麓迄行つて大雨の爲めに追拂はれてしまつた。既に二十二三年前の事である。當時の相棒と東京を立つ時は、先づ長野に行き、それから輕井澤に引返して淺間へ登らうといふ計畫だつた。
 古びた記憶の中に、旅で逢つた二三の人の姿がはつきりと殘つてゐる。その中には、汽車に乘合せた旅役者の群もある。座頭らしい薄痘瘡《うすあばた》の男、その女房、十二三の娘、色の青白い黒眼鏡の女形らしい男、その男に寄添つてゐる十八九の田舍娘。空想好の私は、外の者とは口もきかず、寧ろおど/″\しながら、只管隣席の男に身も心もゆだねた樣子でもたれかゝつてゐる田舍風の女を見て、旅役者にだまされて家を捨てたのでは無いかと想ひ、硯友社時代の小説のやうにはかない行末を作りあげて同情した。しかし、さういふ女がゐたといふ事ははつきり記憶してゐるのだが、その顏かたちはすつかり忘れてしまつた。否、その女ばかりでは無く、一座の者の顏かたちも、たつた一人の座頭の外はすつかり忘れてしまつた。どうしたものか薄痘瘡の座頭丈は、その後歌舞伎座や帝國劇場の大舞臺を見てゐる時、何のきつかけも無く想ひ出すのである。色の褪めた大形の鳥打帽子、浴衣の上に腑のぬけた絽の羽織を着て、仲間うちでは格式を示しながら、側にゐる唐人髷の娘に饅頭を二つに割つて半分を與へ、あとの半分をさもうまさうに喰べてゐた姿を、三等の汽車に特有のお辨當のにほひと共に想ひ出すのである。大歌舞伎の舞臺を見ながら旅役者を想ひ出すのは、如何いふ連想の脈が成立つてゐるのか知らないが、こんな無益に立派な劇場を一日買切つて、ああいふどん底の役者に思ふ存分の芝居をさせて見たいと思ふのである。
 八月のなかばだつたが、碓氷《うすひ》峠を越《こえ》ると秋の景色だつた。百合撫子萩桔梗|紫苑《しをん》女郎花《をみなへし》を吹く風の色が白かつた。草津へ通ふ馬の背の客の上半身が草の穗の上にあらはれてゐた。淺間は男性的な姿を空に描いて居た。
 長野の町は吾々の氣に入らな
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