頃、靜かな山の下の方から、ほいほいとかけ聲して登山者が來た。戸をあけて、六七人の一行が、へとへとになつて入つて來た。みんな爐のそばに倒れるやうに寢てしまつた。
その連中は一時間ばかり休んでから、早く登らないと頂上で朝日が拜めないと云つて出かけた。吾々も起きて、又握飯を喰つた。
孝治さんは小屋に殘つた。友達と二人で外に出ると、暗い立木の梢に、細く青い月がかゝつてゐた。あの澄んだ色を見ろ、東京の月とは違ふからと友達が云つた。頂上迄もう一里あるのであつた。
右に聳えてゐるのがぎつぱ山だ。人々は鬼の牙の形と見てゐる。木立が盡《つき》ると俄かに寒くなつた。道は燒石ばかりになつた。風がまともにおろして來て、屡々帽子を奪はうとする。
東の空が稍明るくなつた。遙かに下の方の山々の腰を圍《めぐ》つて白い雲が湧上つて來た。急傾斜で息切がするが、友達の足は早い。彼は八度目の登山だつた。私は負けない氣を出して踏張《ふんば》つた。風は益々烈しく、山鳴が聞えて來た。小屋を出て一時間の後、吾々は絶頂の噴火口のふちに立つた。
硫黄臭い黒烟のうづまく底に、眞紅の火が見える。たとへるものが無かつた。
つい此の間、長野の町の女學校の生徒が、姙娠のからだを此處に捨てた。摺鉢形になつてゐるので、底の火の中迄落ちて行かずに、中途の岩に引かゝつて、何時迄も白い足が二本むき出しになつて見えたさうだ。
雲を破つて日が登つた。もくもくと湧く白雲の海の向うに、はつきりと富士山が見えた。岩のかげから、拍手が起つた。吾々より後から小屋に來て、先に出た連中だつた。
くだりは早く、かけ足で天狗の露地といふところ迄下りた。其處には草花が咲き亂れてゐた。露に濡れてゐる地梨の紅い實や、こんまらつぱじきと呼ばれる黒い實を摘んで喰つた。
小屋迄戻ると、昨夜の若衆達は、木を削つたり壁を塗つたり、せつせと働いてゐた。
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淺間山から鬼が尻出して
鎌でかつ切るやうな屁をたれた
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と怒鳴つてゐる奴があつた。
夜中で氣が付かなかつたが、小屋の前にはもう一つちひさい小屋があつた。樵夫の親子が住んでゐるのださうで、十八九の娘がゐた。特別の村の者なので、同じ小屋には住まないのださうだ。新しい手拭を姐さんかぶりにした可愛らしい娘だつた。昨夜爐邊で若衆達が、どうしても五六日中に何とかしてしま
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