すっかり芸者屋で、芸者の子になるとおいしい物が食べられて、奇麗な着物は着たいほうだい、踊りを踊ったり、三味線を弾《ひ》いたりして毎日賑やかに遊んでいられるのだとお鶴は言った。
「私もいい芸者になるから坊ちゃんも早く偉い人になって遊びに来ておくれ」
 お鶴は明日の日の幸福を確く信じて疑わない顔をして言った。平生《ふだん》よりも一層はしゃいで苦のない声でよく笑った。
「今度遊びに行っていいかい」
 と私が言ったのを、
「子供の癖に芸者が買えるかい」
 と囃《はや》し立てた子供連にまじってお鶴のはれた声も笑った。そしていつもよりも早く帰えると言い出して別れ際に、
「私を忘れちゃ厭《いや》だよ、きっと偉い人になって遊びに来ておくれ」
 と幾たびか頬擦りをしたあげくに野衾のように私の頬を強く強く吸った。「あばよ」と言って、蓮葉にカラコロと歩いて行く姿が瞭然《はっきり》と私に残った。
 悄然《しょうぜん》と黒門の内に帰った私は二度とお鶴に逢う時がなかった。忘れることの出来ないお鶴について私の追想はあまりにしばしば繰り返えされたので、もう幼かった当時の私の心持をそのままに記《しる》すことは出来ないであろう。私は長じた後の日に彩った記憶だと知りながら、お鶴に別れた夕暮の私を懐かしいものとして忘れない。
「お鶴は行ってしまうのだ」
 と思うと眼が霞《かす》んで何にも見えなくなって、今までにお鶴がささやいた断《き》れ断《ぎ》れの言葉や、まだ残っている頬擦りや接吻《くちづけ》の温《あたた》かさ柔かさもすべて涙の中に溶けて行って私に残るものは悲哀《かなしみ》ばかりかと思われる。堪《こら》えようとしても浮ぶ涙を紛らすために庭へ出て崖端に立った。「お鶴の家はどこだろう」傾く日ざしがわずかに残る、一様に黒い長屋造りの場末の町とてどうしてそれが見分けられよう。悲哀に満ちた胸を抱いてほしいままに町へも出られない掟と誡めとに縛られるお屋敷の子は明日にもお鶴が売られて行く遠い下町に限りも知らず憧《あこ》がれた。「子供には買えないという芸者になるお鶴と一日も早く大人になって遊びたい」
 見る見る落日の薄明《うすらあかり》も名残《なご》りなく消えて行けば、
「蛙《かえる》が鳴いたから帰えろ帰えろ」
 と子供の声も黄昏《たそが》れて水底《みなそこ》のように初秋の夕霧が流れ渡る町々にチラチラと灯《ともしび》[#
前へ 次へ
全19ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
水上 滝太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング