げた、肥《ふと》った翁《おやじ》が丸い鉄火鉢《てつひばち》を膝子《ひざっこ》のように抱いて、睡《ねむ》たそうに店番をしていた唐物屋《からものや》は、長崎屋と言った。そのころの人々にはまだ見馴《みな》れなかった西洋の帽子や、肩掛けや、リボンや、いろいろの派手な色彩を掛け連ねた店は子供の眼にはむしろ不可思議に映った。その店で私は、動物、植物あるいはまた滑稽《おどけ》人形の絵を切って湯に浮かせ、つぶつぶ[#「つぶつぶ」に傍点]と紙面に汗をかくのを待って白紙《しらかみ》に押し付けると、その獣や花や人の絵が奇麗に映る西洋押絵というものを買いに行った。
「坊ちゃん。今度はメリケンから上等舶来の押絵が参りましたよ」
と禿頭は玻璃棚《ガラスだな》からクルクル[#「クルクル」に傍点]と巻いたのを出しては店先に拡《ひろ》げた。子供には想像もつかない遠い遠いメリケンから海を渡って来た奇妙な慰藉品《なぐさめ》を私はどんなに憧憬《あこがれ》をもって見たろう。油絵で見るような天使が大きな白鳥と遊んでいるありとあらゆる美しい花鳥《はなとり》を集めた異国を想像してどんなに懐《なつ》かしみ焦がれたろう。実際あり来たりの独楽《こま》、凧《たこ》、太鼓、そんな物に飽きたお屋敷の子は珍物《めずらしもの》好きの心から烈《はげ》しい異国趣味に陥って何でも上等舶来と言われなければ喜ばなかった。長崎屋の筋向うの玩具《おもちゃ》屋の、私はいい花客《おとくい》だった。洋刀《サアベル》、喇叭《らっぱ》、鉄砲を肩に、腰にした坊ちゃんの勇ましい姿を坂下の子らはどんなに羨《うらや》ましく妬《ねた》ましく見送ったろう。いつだったか父母《ちちはは》が旅中お祖母《ばあ》様とお留守居の御褒美《ごほうび》に西洋木馬を買っていただいたのもその家であった。白斑《ぶち》の大きな木馬の鞍《くら》の上に小さい主人が、両足を蹈《ふ》ん張って跨《また》がると、白い房々した鬣《たてがみ》を動かして馬は前後に揺れるのだった。
「マア、玩具にまで何両という品が出来るのですかねえ、今時の子供は幸福《しあわせ》ですねえ」
とお祖母様はニコニコ[#「ニコニコ」に傍点]して見ていらっしゃった。玩具屋の側《かわ》を次第に下って行くと坂の下には絵双紙屋があった。この店には千代紙を買いに行く、私の姉のお河童《かっぱ》さんの姿もしばしば見えた。芳年《よしとし》の三十
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