来ない淋しい孤独の生活を送る私の一生はお屋敷の子と生まれた事実から切り離すことの出来ない運命であったのだ。小さな坊ちゃんの姿は一人花見連とは反対に坂を登って、やがて恨めしい黒門の中に吸われた。
珍しい玩具《おもちゃ》も五日十日とたつうちには投げ出されたまま顧みられなくなるように、最初のうちこそ「坊ちゃん坊ちゃん」と囃《はや》し立てた子供も、やがて煙草屋の店先の柳の葉も延びきったころには全く私に飽きてしまって坊ちゃんはもはや大将としての尊敬は失われて金ちゃんの手下の一人に過ぎなかった。
「何んでえ弱虫」
こう言って肱《ひじ》を張って突っかかって来る鼻垂らしに逆らうだけの力も味方もなかった。けれどもやはり毎日のように遊び仲間を求めて町へ出たのは小さい妹のために家中の愛を奪われ、乳母をさえも奪われたがために家を嫌ったよりもお鶴といった魚屋の娘に逢《あ》いたいためであった。
子供の眼には自分より年上の人、ことに女の年齢《とし》は全く測ることが出来ない。お鶴も柳屋の娘も私にはただ娘であったとばかりでその年ごろを明確《はっきり》と言うことは思いも及ばないことに属している。お鶴は煙草屋の柳の陰の縁台の女主人公であった。色の蒼白い背丈の割合に顔の小さい女で私は今、そのすらりとした後姿を見せて蓮葉に日和下駄《ひよりげた》を鳴らして行くお鶴と、物を言わない時でも底深く漂う水のような涼しい眼を持ったお鶴とをことさら瞭然《はっきり》と想い出すことが出来る。
きらきらと暑い初夏の日がだらだら[#「だらだら」に傍点]坂の上から真直《まっす》ぐに流れた往来は下駄の歯がよく冴《さ》えて響く。日に幾たびとなく撤水車《みずまきぐるま》が町角から現われては、商家の軒下までも濡《ぬ》らして行くが、見る間にまた乾ききって白埃《しらほこり》になってしまう。酒屋の軒には燕《つばめ》の子が嘴《くちばし》を揃えて巣に啼いた。氷屋が砂漠《さばく》の緑地のようにわずかに涼しく眺められる。一日一日と道行く人の着物が白くなって行くと柳屋の縁台はいよいよ賑《にぎ》やかになった。派手な浴衣《ゆかた》のお鶴も、街《ちまた》に影の落ちるころきっと横町から姿を見せるのであった。「今日《こんち》は」と遠くから声をかけて若い衆の中でも構わずに割り込んで腰を下した。
「坊ちゃん。ここにいらっしゃい」
とお鶴はいつも私をその膝《
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