。その当座の混雑は、私をして自由に町っ子となる機会を与えた。あるいは邪魔者のいない方がかかる折には結句いいと思って家の者は知っても黙っていたのかも知れない。
比較的に気の弱いお屋敷の子は荒々しい町っ子に混って負《ひけ》を取らないで遊ぶことは出来なかったが彼らは物珍しがって私をばちやほや[#「ちやほや」に傍点]する。私はまた何をしても敵《かな》いそうもない喧嘩《けんか》早い子供たちを恐いとは思いつつも窮屈な陰気な家にいるよりも誰に咎《とが》められることもなく気儘《きまま》に土の上を馳け廻るのが面白くて、遊びに疲れた別れ際《ぎわ》に「明日《あした》もきっと[#「きっと」に傍点]おいで」と言われるままに日ごとにその群れに加わった。
私たちの遊び場となったのは熊野神社の境内と柳屋という煙草屋の店先とであった。柳屋の店にはいつでも若い娘が坐っていた。何という名だったか忘れてしまったけれども色白の肥った優しい女だった。私は柳屋の娘というと黄縞《きじま》に黒襟《くろえり》で赤い帯を年が年中していたように印象されている。弟の清《せい》ちゃんは私が一番の仲よしで町ッ子の群れのうちでは小ざっぱりした服装《なり》をしていた。そして私と清ちゃんが年も背丈も誰よりも小さかった。柳屋の姉弟《きょうだい》にはお母《っか》さんがなく病身のお父《とっ》さんが、いつでも奥で咳《せき》をしていた。店先には夏と限らずに縁台が出してあったもので、私たちばかりか近所の店の息子や小僧が面白ずくの煙草をふかしながら騒いでいた。
「あいつらは清ちゃんの姉さんを張りに来てやがるんだよ」
と言う金ちゃんの言葉の意味はわからぬながらも私は娘のために心を配《わずら》わした。けれどもはかない私の思い出の中心となるのはこの柳屋の娘ではなかった。
都もやがて高台の花は風もないのに散り尽すころであった。ある日私はいつもの通り黒門を出て坂を小走りに馳け下った。その日に限って私より先には誰も出て来ていないので、私はしばらく待つつもりで柳屋の縁台に腰かけた。店番の人も見えなかったがほどなく清ちゃんが奥から馳け出して来る。続いて清ちゃんの姉さんも出て来て、
「オヤ、坊ちゃん一人ッきり」
と言いながら私の傍に坐った。派手な着物を着て桜の花簪《はなかんざし》をさしていた。私の頬《ほお》にすれずれの顔には白粉《おしろい》が濃かった。
前へ
次へ
全19ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
水上 滝太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング