内に充満《いっぱい》になる不秩序な賑《にぎ》やかさが心も躍《おど》るように思わせたのに違いない。私は藤次郎の言うままに乳母には隠れてたびたび連れて行ってもらったものだった。静寂な木立を後にして崖の上に立っていると芝居の内部の鳴物の音《ね》が瞭然《はっきり》と耳に響くように思われてあの坂下の賑わいの中に飛んで行きたいほど一人ぼっちの自分がうら淋しく思われた。

 それは確かに早春のことであった。日ごとに一人で訪ずれる崖には一夜のうちに著しく延びて緑を増す雑草の中に見る限りいたいた[#「いたいた」に傍点]草の花が咲いていた。その草の中にスクスク[#「スクスク」に傍点]と抜け出た虎杖《すかんぽ》を取るために崖下に打ち続く裏長屋の子供らが、嶮《けわ》しい崖の草の中をがさがさ[#「がさがさ」に傍点]あさっていた。小汚《こぎた》ない服装《みなり》をした鼻垂《はなた》らしではあったが犬のように軽快な身のこなしで、群れを作ってほしいままに遊び廻っているのが遊び相手のない私にはどんなに懐かしくも羨ましく思われたろう。足の下を覗くように崖端《がけはた》へ出て、自分が一人ぼっちで立っていることを子供らに知ってもらいたいと思ったがこちらから声をかけるほどの勇気もなかった。全く違った国を見るように一挙一動の掛け放れた彼らと、自分も同じように振舞いたいと思って手の届くところに生《は》えている虎杖《すかんぽ》を力|充分《いっぱい》に抜いて、子供たちのするように青い柔かい茎を噛《か》んでも見た。しくしく[#「しくしく」に傍点]と冷めたい酸《す》っぱい草の汁《しる》が虫歯の虚孔《うろ》に沁み入った。
 こうしたはかない子供心の遣瀬《やるせ》なさを感じながら日ごと同じ場所に立つお屋敷の子の白いエプロンを掛けた小さい姿を、やがて長屋の子らが崖下から認めたまでには、どうにかして、自分の存在を彼らに知らせようとする瓦《かわら》を積んでは崩《くず》すような取り止めもない謀略《はかりごと》が幼い胸中に幾度か徒事《あだ》に廻《めぐ》らされたのであったがとうとう何の手段《てだて》をも自分からすることなくある日崖下の子の一人が私を見つけてくれたが偶然上を見た子が意外な場所に佇む私を見るとさもびっくりしたような顔をして仲間の者にひそひそ[#「ひそひそ」に傍点]とささやく気配だった。かさかさ[#「かさかさ」に傍点]草の中
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