寫を伴ふ非凡の腕力を發揮したが、繪畫的描寫の一面丈を比べるならば、泉先生も亦彼に劣らぬ鮮かさを示された。但し、彼とこれと、西洋畫と日本畫の相違の存する事は言ふ迄もない。
 先生は、小説は物語であると考へ、この點に多くの疑をさしはさまれなかつたやうだが、それにもかゝはらず先生の作品は、眞直に筋を語るものではなく、描寫に次ぐに描寫を以てする場面の展開を辿り、決して口から耳に傳へる風のお話にはならなかつた。描寫に自信を持つ先生の文章は、暗示にかくれる形態でなく、豐富な文字の數をつくして、執拗に殘りなく描かなければ承知しない。どんな事でも描いて見せるぞと先生はきほつて居られた。先生はよく昔の藝道の達人の話をされ、何某の狂言師が狐の聲を發して飛上ると、あたりに獸の惡臭が漂つたとか、誰某の繪師が墨を以て描いた牡丹は、火焔の色に燃えたつたとか、さういふ類の藝談に及ばれた。況や文章の道に於ては、藝の極致に達する時、神業か鬼神力か、花を描けば芬々たる香を發し、草を描けば颯々たる風のわたる事も、まのあたりだと説かれた。眞實さういふ境地に到り得るものだと信じて居られた。此の場合、眼に見る儘を、精緻克明に寫す
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