わかる人々は、此の陣笠の聲の中にも眞實のある事を認めるであらう。
「戀の日」を再讀三讀して卷を閉ぢた時、自分は不思議な氣持がした。その昔頼母しがられた頃はいざしらず、此の頃の、出たらめの、安受合の、ちやらつぽこだと思つてゐた久保田君が、尚斯くの如き靜寂至純なる藝術境を把持して、完全無缺な作品を發表し得る事の不可思議に驚いたのだ。人間が偉くなければ、立派な作品は出來ないと思つてゐる自分の信仰がぐらついた。矢張り久保田君は偉い人だつたのかと思ひ出した。幾度も幾度も、此の問題を頭腦《あたま》の中で繰返して居る間に、平生藝術家久保田君を見くびり勝な、其處いらに居る人間どものぼんくらと無禮が癪に障つて來た。自分自身の目はしの利かなかつた事も亦腹立たしくなつて來た。正直のところ、自分は久保田君の藝術の力に、完全に頭を垂れて膝まづいたのである。
 最近、陸軍簡閲點呼に召集されて上京した時、忙しい中で、新婚の久保田君夫妻に逢つた。もの優しい新夫人を傍にして坐つた久保田君は、見違へるばかり身體《からだ》はひきしまり、一頃の浮調子とはうつて變つて落ちついてゐた。堂々とした花婿だつた。さうして斯ういふ場合には、兎角世間の惡賢い人間がして見せる氣障と厭味を離れて、眞面目に結婚生活の幸福を説いて止まなかつた。女性を輕侮し、結婚生活を羨しいと思つてゐない自分さへ、久保田君の純眞なる喜悦の前には、おひやらかすことさへ出來なかつた。これ程喜べるものならば自分も結婚し度いと思つたが、自分の如き疑深い卑屈な根性の者には、到底それは不可能の事であらう。結局自分は、久保田君の結婚そのものよりも、久保田君が眞心から幸福を感じてゐる心持の方を羨んだ。
 或は遂に久保田君は「生活の改造」を爲《し》遂げたのかもしれない。さうしてほんたうに久保田君の偉さが、一時の浮薄に打勝つて光を現して來たのかもしれない。「世の中がよくなつて來た」のかもしれない。さういふ奇蹟の起る事を、自分は「末枯」の作者の爲めに祈つて止まないものである。(大正八年八月十八日)
[#地から1字上げ]――「三田文學」大正八年九月號



底本:「水上瀧太郎全集 九卷」岩波書店
   1940(昭和15)年12月15日発行
入力:柳田節
校正:富田倫生
2005年1月27日作成
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