上に紹介してやらうと云つて、下宿の所在迄教へて呉れたのださうだ。どうしても自分にはそんな知己は無いので、腑に落ちない話だつたが、例の新聞記者一流の出たらめをやつたんだなと思つて苦笑するより他に爲方が無かつた。
時に甚だしく口の重い事のある自分に對して、訪問者もはか/″\しく口をきかず、次第に手持無沙汰らしく見えて來るので、無理に何か話材をこしらへても、相手は兎角簡短な應答をするばかりで、且つ最初は不良少年かと思つた程無遠慮な態度に似ず、返事をする時は羞しさうにさへ見えるのであつた。
彼はその頃甲種商業學校の五年生で、目の前に卒業試驗を控へてゐた。
「學校はいやでいやで適《かな》はん。」
と駄々子《だゞつこ》の物言ひをして、文學以外の學課に興味が無く、卒業出來るかどうかもわからないといふ意味の事を云つた。
父親は死んでしまつたけれど、その父が生前殘した事業があつて、母親は學校を卒業すると同時に其處で働かせるつもりでゐる。彼は學校なんか今日からでもやめて、小説の作家になり度いのであつた。
「學校なんぞは役にたちませんなァ。」
と少年は少し雄辯になつて、自分の同感を求めた。
聽いてゐるうちに自分の目の前には、その少年の年頃の自分自身の姿が浮んで來た。學課は怠けて運動場を馳※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]り、文學書以外には殆ど何も本は讀まず、一ヶ月の缺席數は出席數よりも遙かに多く、落第に落第の續いた時代である。自分には苦も無く目前の少年の心持になり切る事が出來た。けれども自分は夙《とつく》の昔臆病な大人になつてゐるので、相手の一本調子にうつかり相槌は打てないぞと、腹の中で、油斷のない狡猾な注意を忘れなかつた。
「けれどもね、矢張り學校は續けてやつた方がよござんすよ。」
自分は學校では別段小説家に特に必要な智識を與へては呉れないにしても、學問の根柢があると此の世の中を知る上に深みを増すに違ひ無いなどゝ、もつともらしい顏付をして云つた。
少年は「金色夜叉」を幾度も幾度も愛讀した事を話し、「蒲團」に感心した話をし、谷崎潤一郎氏の作品を好む事を話し、曾て友人と小遣を出しあつて雜誌を發行し、創作を發表した事を話した。その癖時々思ひ切つて愚劣な質問をして先生を困らせた。
「一體新聞小説家になる方がいいでせうか。」
などと眞顏で訊きもした。
「それで滿足してゐ
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