貝殼追放
先生の忠告
水上瀧太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)枕頭《まくらもと》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ]――「三田文學」大正八年一月號

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)びく/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 或日曜の朝の事であつた。寢坊をした床の中でぼんやりして、起きようか寢てゐようか迷ひながら、枕頭《まくらもと》の火鉢の上の鐵瓶の口から、さかんに立昇る湯氣を見てゐるところに、こまつちやくれの下宿の小婢《ちび》が、來客のある事を告げに來た。その取次いだ名前が昔の學校友達のそれと同一だつたので、自分は一緒に惡戲《いたづら》つ子だつた中學時代の友達の、今川燒のやうにまあるく平べつたくて、しかもぶよぶよしてゐた顏中を想ひ出しながら、狼狽《あわ》てて飛起きて洗面場に馳けて行つた。
 身じまひをして、玄關に出て見ると、其處にはまだ十八九の見馴れない少年が一人ゐるばかりだつた。側に立つてゐる小婢に、
「お客は。」
 と訊《き》くと、
「そのお方です。」
 と指差した。
「先生ですか。」
 少年は意外だつたといふ表情を包まずに、此方《こつち》を見上げてから帽子を取つて頭をさげた。
「お上んなさい。」
 先生と呼びかけられた自分を、けげんさうに見守つてゐる小婢の目を避けるやうに、心中少し狼狽しながら、さつさと先に立つて自分の室に少年を導いた。先生と呼ばれた丈で、何の爲めに此の少年が自分を訪問したか、彼が如何なる種類の人間であるかが直感された。自分は寧ろ不機嫌で、相手の態度を見守つた。
 少年は一見不良少年らしい沈着さで、初對面の年長者の前で、惡びれもしずに煙草をふかしたが、紺がすりの着物に紺がすりの羽織で、海老茶の毛糸で編んだ羽織の紐が如何にも子供らしかつた。
「私を訊《たづ》ねて來たのは如何いふ御用です。」
 と自分の方から切出した。
「實は朝日新聞の○○さんが、先生を紹介してやらうと云うて下さつたので……」
「○○さん?」
 自分はいくら考へてもそんな人は知らなかつた。
 少年の云ふところに據ると、○○といふのは大阪朝日新聞の社會部の記者であるが、少年が文學に熱中して、文學談ばかり持ちかけるので、それでは此頃大阪に來てゐる水
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