見せてくれる人だと信じてゐる。けれども須磨子の柄から云つても、藝風から云つても、決して「沈鐘」を演ずべきではなく、もつと寫實的な戲曲に向く人であると斷言してもいい。何故わざわざ柄に無い「沈鐘」を選んで「藝術座の女皇」に演じさせようとしたのか。或人々は島村抱月氏が妻子を捨てて須磨子とくつついた事實から「沈鐘」を選んだのだと噂するが、そんな評判は信じたく無い。恐らくは「藝術座」の連中の向不見《むかうみず》の結果なのであらう。
 けれども開場以來一週間に近いその日さへ、入りは八分迄あつた。「自由劇場」も「土曜劇場」も、その他の劇團の多くも息をひそめてしまつたのに、兎にも角にも「藝術座」は、ひとり帝都の大劇場で客を呼んでゐるのは、原因が無くてはならない。
 自分などが餘りに無責任、無教練なうたひぶりに冷汗を覺えてゐる隣の棧敷では、新橋邊の生意氣さうな若い藝者を引連れてゐる成金らしい五十男が、
「須磨子の聲はええなあ。」
 と感に堪へてゐるのだから、或は正直に感服して見てゐる多數があるのかもしれないけれど、それよりもその人々を感服させる何か特別の原因があるのに違ひない。
「よくこんな芝居でも見に來る人があるね。河合のためかしら。」
 兄はいぶかしさうに場内を見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]したが、自分は答へる事が出來なかつた。
 二幕目、三幕目、四幕目、さうして最後の幕が濟んだ時に、自分は此の見てゐても恥しい戲曲の終りを喜ぶ安心と共に「藝術座」の強味を認め得た。それは向不見の強味である。自分が罵倒したくて堪らない無責任そのものの強味である。さうだ。藝術的良心の無い強味だ。無鐵砲の強味だ。
 勿論それは眞の強味ではない。しかし少くとも、ともすれば現在を支配しようとする強味である。藝術的良心の強い者が、ああでも無い、かうでも無いと思ひ惱み、手も足も出なくなり勝な時に、何等顧慮する事なく、馬車馬の勢を以て驅け出すのだ。實に此の無反省の強味は、現代の政治にも、事業界にも、文壇にも、歴々として現れてゐる。怖ろしいと思つた時、自分は本間久雄氏の存在を想ひ起した。
「いかがでございます、只今のは。」
 お茶を持つて來た出方は、愛想のいい顏をつき出してきいた。
「あんまり感心しなかつたよ。」
「なんですか手前どもには、からつきしわからねえんですが、兎に角歌舞伎座のものぢやございませんや。」
 と一人で眉をあげて罵倒したが、
「まづ山の手のものでございませうなあ。」
 と云ひ得て嬉しいと云つた顏付で立ち去つた。
 自分はふだんならば、こんな月並な江戸がりは嫌ひなんだが、その時は味方を得たやうな氣がして一緒に痛快がつた。それは確かに弱者の聲であらう。吠えられて逃げてゆく犬の悲しい叫びであらう。後から群つて追ひ迫る野良犬の一匹々々別々ならば怖ろしくもないのだが、密集してゐる力の塊にはなみなみのものではかなはない。素早く横町に姿をかくす育のいい犬の聲にちがひない。
 さうだ。文壇も劇壇も、たとへ根柢の無い勢力ではあらうけれど、ほしいままに跋扈してゐるのは向不見の強味を持つ徒輩《ともがら》である。一人々々數へると、田圃の稻子《いなご》に過ぎないけれど、密集して來る時の力は怖ろしい。しかし自分は吠えながら逃げる犬を學ぶのはよさう。噛み殺される迄鬪つてみよう。構ふもんか、こつちも少しは向不見でやつつけろ、と思つた時、自分は既に大なる群衆の前に石つぶてを浴びてゐる心持がして額に血の上るのを感じた。(大正七年九月廿四日)
[#地から1字上げ]――「三田文學」大正七年十月號・十一月號



底本:「水上瀧太郎全集 九卷」岩波書店
   1940(昭和15)年12月15日発行
入力:柳田節
校正:門田裕志
2005年1月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全6ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
水上 滝太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング