蔭」はその頃の日記の中から拾ひ集めた彼地の夏の小景を敍したものでこれだけは新しく書いたと云ふ方が適當かもしれない。いづれにしても作品の内容を成す素材は自分の想像の所産であるからこれを自分の日記と呼ぶ事は出來ないが創作の態度に至つては旅客が旅舍の一室にその日その日の見聞を手帳に記すのとかはらなかつた。平調枯淡に過ぐるの譏は作者が甘んじて受くるところである。この度一册に纏めて出版する事になつたので二度三度繰返して讀んだが不相變自分を滿足させなかつた。こんなものを本にするのは羞しくもあるが同時に又これらの作品を書いた當時の自分自身を懷しむよすがとして流石に捨て難くも思はれる。冬は雪に埋もれ夏は汗に堪へ難き楡の樹蔭の貧しき下宿の西向の窓に机を据ゑて學業の餘暇に筆を執つた自分の姿が彷彿として浮んで來る。この集を世に出す事になつたのも主として自分自身を限りなく戀しく思ふ心持に基くのである。(大正六年の秋)
[#地から1字上げ]――「三田文學」大正六年十一月號
底本:「水上瀧太郎全集 九卷」岩波書店
1940(昭和15)年12月15日発行
入力:柳田節
校正:門田裕志
2005年1月19
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