れ、又しても殘念に思ふのである。一體、世間普通に適用する江戸ッ子といふものゝ觀念には、かういふ冷汗の出るやうなのが勢力を持つてゐるのだらうし、實際東京の人間には、多少いやな浮調子《うはつてうし》なところもある事は否めないが、自分のやうに極端に東京の人間の好きなものにとつては、かゝる種類の人間を江戸ッ子と呼ばれるのは苦痛である。正直のところ自分は、はきちがひの江戸ッ子がりの横行の爲か、近頃は江戸ッ子といふ言葉をきくと、前後の判斷も無く、直に侮蔑の念を抱くやうにさへされてしまつた。
 自分は「紅雀」が、立派な戲曲を構成すべき素質を備へながら、あまり出來榮の勝れない小説となつてしまつた事を殘念に思へば思ふ丈、その小説としての價値を殊に安價にした作者の惡趣味を罵倒し度い。この自分が、甚だ強く感じた感歎と殘念とは、覘ひどころに於て秀拔で、小道具と背景、その他の外面的要件に於て劣惡な「紅雀」の持つ不思議に混亂した興味に誘はれて、二度も三度も繰返して讀ませた。
「夢子」といふ小説は、その主人公夢子の數奇な運命が、異國趣味に似た面白さを持つてゐる。殆ど神祕の國の城の中を覗くやうな冒頭の生ひ立ちの記の數
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