しい事であるが、「鳥のなげき」の浮《うは》ついた氣障《きざ》ないひあらはしは、その悲しみを賣物にしてゐるやうな推察を起させる。その點に於て自分は、此の「鳥のなげき」にかへて、どんな序文でもいゝから別《ほか》のものであつてくれゝばよかつたと思ふ。
「八千代集」中、自分が一番面白いと思つたのは、卷頭の「紅雀」である。茲に面白いといふのは、それが藝術品として勝れてゐるといふ意味では無い。自分をして種々の事を考へさせた點を指すのである。若しも一の作品に覘ひどころといふものがあれば――内容といふ廣い意味の言葉を用ゐるよりも、稍々狹義で且聊か不純な意味を持つ覘ひどころといふ言葉を特に用ゐる――此の作品は、その覘ひどころに於て極めて勝れたものであると同時に、それを一篇の藝術品として形造る形式に於ては、最も拙劣であつた。
 一人の青年は、死なばもろともにと誓つた從妹に死に遲れ、死なう死なうと思ひながら生きながらへてゐるうちに、何時しか他の女に戀してしまふ。けれども死んだ從妹との誓に對する良心の惱みから、今戀ふる女にはその戀をなか/\うちあけかねたが、遂にそれをうちあけると、女も亦女自身、或他の人に對し
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