かつたのと、若い兄妹が揃つて文筆に親しんでゐるといふ事が、當時の自分には羨しくも懷しくも思はれたのである。當今思ひつき專門の雜誌が、有島兄弟號谷崎兄弟號長田兄弟號を出し、物好きな世間がそれに釣られる心持を、自分は自分自身持つてゐる事を拒め無い。
「夢見草」は今も自分の本箱の中にあるが、「門の草」は何時《いつ》かしら古本屋にでも賣拂つたのであらう、自分の手もとには無くなつた。
 いろ/\の美しい文章が集めてあつたが、それがどんなものだつたか今では全く覺えてゐない。夜寒の門の外で小犬の啼いてゐる景色が、その文集の何處かにあつたやうに思ふがあてにはならない。女の子が集つて、おはじきをしてゐる景色も、おぼろげながら記憶してゐるが、それとてもそれつきりで、後も前もまるで忘れてしまつた。たゞ自分が幼い憧憬をもつて「門の草」を讀んだといふ、自分自身を囘顧して懷しむ心地ばかりが忘れられないのである。
 その後「新緑」といふ新派の俳優の話も、誰は誰をモデルにしたのだといふやうな極めて安直な興味から自分を誘つたが、僅かに前篇を讀んだだけで止めてしまつた。後年久保田万太郎氏がしきりに此の小説を推稱するのを聞
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