貝殼追放
「八千代集」を讀む
水上瀧太郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)如何《どう》いふ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)花|片《びら》が、
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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岡田夫人から「八千代集」を頂いた。
ひと昔前の事、自分がまだ中學の時代に、如何《どう》いふ心持で讀んだのか忘れてしまつたが、小山内薫《をさないかをる》氏の「夢見草」と、小山内八千代さんの「門の草」といふ文集を、常に机の上に置く十數册の詩歌集と一緒に並べて持つてゐた。ヲサナイと呼ぶ事を知らずにコヤマウチだと思つてゐた。小山内氏兄妹が、泉鏡花先生の作品の愛讀者であり且研究者だといふ事を、ある雜誌で承知して、その爲に買つた二册だつたかと思ふ。本の裝幀が美しかつたのと、若い兄妹が揃つて文筆に親しんでゐるといふ事が、當時の自分には羨しくも懷しくも思はれたのである。當今思ひつき專門の雜誌が、有島兄弟號谷崎兄弟號長田兄弟號を出し、物好きな世間がそれに釣られる心持を、自分は自分自身持つてゐる事を拒め無い。
「夢見草」は今も自分の本箱の中にあるが、「門の草」は何時《いつ》かしら古本屋にでも賣拂つたのであらう、自分の手もとには無くなつた。
いろ/\の美しい文章が集めてあつたが、それがどんなものだつたか今では全く覺えてゐない。夜寒の門の外で小犬の啼いてゐる景色が、その文集の何處かにあつたやうに思ふがあてにはならない。女の子が集つて、おはじきをしてゐる景色も、おぼろげながら記憶してゐるが、それとてもそれつきりで、後も前もまるで忘れてしまつた。たゞ自分が幼い憧憬をもつて「門の草」を讀んだといふ、自分自身を囘顧して懷しむ心地ばかりが忘れられないのである。
その後「新緑」といふ新派の俳優の話も、誰は誰をモデルにしたのだといふやうな極めて安直な興味から自分を誘つたが、僅かに前篇を讀んだだけで止めてしまつた。後年久保田万太郎氏がしきりに此の小説を推稱するのを聞いたが、それは役者好きの久保田氏の事だから、役者の生活を描いた小説をほめるのか、でなければ久保田氏は岡田夫人が贔負なのでほめるのだと、たかをくゝつて讀まなかつた。雜誌や新聞に出た夫人の作品は隨分澤山讀んだ筈だけれど、あんまり感心しなかつたと見えて、殆どひとつとして記憶に殘つてゐるものも無い。
それなのに今度「八千代集」を讀んで、かなり面白く思ひ、集中の多くの作品は大概二度三度繰返した。夫人からその集を頂いた時、自分は發熱して病牀にあつた。なぐさまぬ心が大層なぐさめられた。本を頂いた禮状にかへて、自分は主として自分の好惡から出た、讀後の感想を、聊か引延して茲に記し度いと思ふ。
序にかへた「鳥のなげき」といふ詩――詩と呼ぶ外に何か適當で、且もう少し安つぽい輕蔑した言葉があれば、喜んでいひかへる――を先づ讀んで不愉快な氣持がした。自分の推察が間違つてゐたら謝る他は無いが、想ふに此の詩によつて、作者は自分の境遇を、暗にうたひ嘆いたのであらう。序にかへてと斷つてゐるのをみても、少くとも作者の一時代の心状を現したものと見て差支へ無いやうに思ふ。無理解の周圍の中に生活する事は、吾々にとつて最も悲しい事であるが、「鳥のなげき」の浮《うは》ついた氣障《きざ》ないひあらはしは、その悲しみを賣物にしてゐるやうな推察を起させる。その點に於て自分は、此の「鳥のなげき」にかへて、どんな序文でもいゝから別《ほか》のものであつてくれゝばよかつたと思ふ。
「八千代集」中、自分が一番面白いと思つたのは、卷頭の「紅雀」である。茲に面白いといふのは、それが藝術品として勝れてゐるといふ意味では無い。自分をして種々の事を考へさせた點を指すのである。若しも一の作品に覘ひどころといふものがあれば――内容といふ廣い意味の言葉を用ゐるよりも、稍々狹義で且聊か不純な意味を持つ覘ひどころといふ言葉を特に用ゐる――此の作品は、その覘ひどころに於て極めて勝れたものであると同時に、それを一篇の藝術品として形造る形式に於ては、最も拙劣であつた。
一人の青年は、死なばもろともにと誓つた從妹に死に遲れ、死なう死なうと思ひながら生きながらへてゐるうちに、何時しか他の女に戀してしまふ。けれども死んだ從妹との誓に對する良心の惱みから、今戀ふる女にはその戀をなか/\うちあけかねたが、遂にそれをうちあけると、女も亦女自身、或他の人に對し
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