い人間社會が、その背後に横たはる事さへ歴然と示されてゐるのである。集中最も完全な作品であると同時に、波瀾に富んだ長篇よりも、遙に深みのある作品である。靜止せる場合を描いて、尚且動いて止まない人生の一角をまざ/″\と見せた逸品である。紅葉時代の文脈を引いた誇張の無い氣持ちのいゝ夫人の文體は、此作に於て、初めてしつくりあてはまつたやうな氣がした。自己を語るには、思想を適確に把握し得ない恨みがあり、自己を描くには、あまりに筆の弱過ぎる嫌ひのある夫人は、要するにその持前の細かい觀察に、女性特有の温い同情の伴つた時、寫生家――寫實主義者といふ文字の與へる概念と異なると同時に、ホトヽギスの所謂寫生文を書く人とも違ふ意味で――としての本來の技能が最も自然に發露して、かゝる逸品を創作し得るのではないだらうか。敢て夫人が今後の筆硯の爲に、自分は押切つた事を云ひ添へるのである。
「雨」と並べて、自分が最も愛讀したのは「うつぎ」である。一體に他の作品の多くに見えるあまり感心しない趣味と、かなり力強く働いてゐる芝居氣から、此作品は全然免れて、極めて自然なのが、自分をして幾度も繰返して讀ませた所以である。
元來どの作家でも、追憶囘想の作品には、不知不識詠嘆的になり勝であるが、意力の強い夫人は、全然この弱點を見せずに、飽迄客觀的な態度を持し、しかも面白い※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話のひとつひとつを繪卷物のやうに展開した。殊に一人稱の敍述に似もやらず、作中の人のすべてが、何れも截然とした特色を持つ個々の性格として躍動してゐるのは敬服に値《あたひ》する。さうしてその個々の人々の一生及び相互の關係迄吾々は頭を痛める事なく覗ふ事が出來る。こゝにも亦夫人の寫生家としての特質と、その柔かい色彩と、その靜に寂しい韻律を持つ極めて上品な夫人の文章を推稱し度い。
凡そ多くの作家にとつて、最も懷しい作品は、その構想表現に工風を凝らした作品ではなく、極めて自然に自分の心胸に泉の如く湧き上る感情を、そのまゝ筆にした作品であらう。其處には屡々心ある作家が、自ら冷汗を覺える小細工、脅迫、虚僞が無い。恐らくは夫人が自己の作品中最も自らなつかしとするものは「うつぎ」以外にあるまいと思ふ。
「うつぎ」に比べると、同じやうな味ひを多分に持ちながら、比較的に劣るのは「指輪」である。
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