才によりてのみ眞に理解せらるといふ誰やらの言葉も思ひ出られ候。世の文學愛好者は黨同伐異を事とし、又は鈍感にして天才を理解し得ざる群小批評家の言に迷はさるる事無く、偏見を捨てて此の大作家の作品を三讀すべきものと存候。先生の如き偉大なる藝術家と同時代に呼吸する事を思ふのみにても吾等生甲斐ある心地致候。
今年正月の「早稻田文學」に西宮藤朝なる人「泉鏡花論」を發表し、此作者の過去に於て同情あり理解ある批評家を有せざりし事を繰返し遺憾としたるが、扨て御當人は如何といふに之亦全く無理解にて、「辰巳巷談」の梗概を述べお君がいい人鼎を沖津に寢取られたりとなせるが如き言語道斷の誤あり、研究の不備か生來のぼんくらか、人をして惡批評家の横行を憎ましむるもの有之候ひき。
「幻の繪馬」讀後の感想認め兼候お斷りを述ぶるつもりにて床上筆を執りつゝ少々氣焔をあげ申候。發熱せざれば幸甚に御座候。(大正六年三月十五日夜)
[#地から1字上げ]――「中央文學」大正六年五月號
底本:「水上瀧太郎全集 九卷」岩波書店
1940(昭和15)年12月15日発行
入力:柳田節
校正:門田裕志
2004年12月5日作成
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