社の寫眞係りが、籐椅子を据ゑ、いかにも美術的の趣向だといふやうに浮袋を側に立てかけて、扨て自分を腰かけさせた。
 馬鹿々々しい事だと思つた時は、もう寫眞は撮つてゐた。それでおしまひだと思つて立上らうとすると、新聞記者は最初の約束を無視して、是非とも話をしてくれと迫つて來た。約束が違ふではないかと詰《なじ》つても、平氣で、値うちの無いお低頭《じぎ》を安賣りするばかりである。しまひには一分でも二分でもいゝと、縁日商人のやうな事を云ひ出した。それでは五分丈約束するから、その五分間に質問してくれと云つて、自分はかくしから時計を出して掌に置いた。
 二人の中のどつちが朝日の記者で、どつちが毎日の記者だつたか忘れてしまつた。後日の爲に名刺丈は取つて置いたから机の抽出でも探せば姓名は判明するが、それは他日に讓らう。兎に角此の二人は、他人の一身上に重大な關係を惹《ひき》起すやうな記事を捏造する憎むべき新聞記者であつた。
 五分は瞬間に過ぎた。時計の針が五分※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る間に自分が質問された質問と、答えた返答は左の如きものであつた。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
第一の問。貴下は外國では何を勉強して來ました。經濟ですか。
第一の答。私は雜學問をして來たので、何といふ一科の專門はありません。但し學校では經濟科の講義を聽講しました。
第二の問。文學の方はやりませんでしたか。
第二の答。私は學問として文學を修めた事は、日本にゐた時も外國にゐた時も、全くありません。
第三の問。今後職業を擇ぶに就ては保險事業をお擇びですか、又は慶應義塾の文科で教鞭をおとりになりますか。
第三の答。私の父は保險會社に勤めてゐますが、それも家業といふのではなく株式會社の事ですから息子も必ずその仕事をするといふ事はありません。慶應義塾になんか行つたつて教へる學問がありません。
第四の問。貴下の就職問題に就ての御尊父の御意見は。
第四の答。父は私の選擇に任せるでせう。
第五の問。外國の文藝上の新運動について何か話して下さい。
第五の答。別に新運動なんてものは無いでせう。日本の方がその點では新しいでせう。
[#ここで字下げ終わり]
 恰も五分たつたので自分は最後の一句を冗談にして立上らうとした。するとたつたもう一つ質問し度いと云つて引止められた。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
第六の問。今後も創作を發表しますか。
第六の答。氣が向けばするでせうが、兎に角自分なんか駄目です。以前書いたものなんか考へても冷汗です。
[#ここで字下げ終わり]
 傍から梶原氏が、あれは既に作者自身が葬つたものであると、自分の小説集「心づくし」の序文を引いて説明してくれた。
 右の如く簡短な質問に對する簡短な返答で苦痛の五分が過ぎた時、自分は後には何も氣がかりな事の殘つてゐない爽快な心持で姉や知人の群に歸つた。梶原氏は、自分の新聞記者に對する應對が意外に練れてゐると云つて稱讚し、これを海外留學の賜《たまもの》とする口吻をもらした。君はなかなかうまいなあ、と云つて彼は自分の肩を叩き、自分も、うまいだらう、と云つて笑つた。
 船の人々に別れを告げ、上陸してからは先づ湯にでも入《はい》つて、ゆつくり食事でもしたらよからうといふ人々の意見に任せて、神戸の町の山手の或料理屋につれて行かれた。姉夫婦は今夜大阪まで、梶原氏は京都まで同行しようと云つてくれた。
 事毎に新鮮な印象を受ける久々の故郷は、自分を若々しくした。姉は自分をつくづく見て、何時《いつ》迄たつても小僧々々してゐると云つて笑つた。
 樂しい食事の後で、自分は姉夫婦と話しながら夕方迄その家に寢轉んでゐた。新聞記者の事なんか全然《すつかり》忘れてゐた。
 三宮驛から、夕暮汽車に乘る時に、何氣なく大阪毎日新聞の夕刊を買つた。その二面に麗々《れい/\》と自分の寫眞が出てゐて「文學か保險か」と大きな標題《みだし》の横に「三田派の青年文士水上瀧太郎氏歸る」と小標題《こみだし》を振つて、十七字詰三十八行の記事が出てゐた。その中に書いてある事は自分が想像もしなかつた意外千萬なもので、殊に自分を驚かしたのは文中所謂青年文士の談話として、自分が廢嫡されるかどうかといふ問題を自《みづから》論じてゐる事であつた。
 今此處にその長々しい出たらめの新聞記事を掲げて、一々指摘してもいゝけれど、第一の問題たる廢嫡云々が、自分の如き我家の四男に生れたものにとつて、如何《どう》して起るかと反問する丈でも充分その記事の根據の無い事を證明する事が出來ると思ふ。自分には尚二人の兄が現存して居る。その中の一人は既に分家して一家の主人になつてゐるけれど、當然我家を相續すべき長兄を差措いて、どうして自分が廢嫡される資格があらう。自分はこれを廢
前へ 次へ
全7ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
水上 滝太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング