瘢痕
平出修

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)当《あて》に

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)此|瘢《きず》は

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「にんべん+就」、第3水準1−14−40]《やと》つて
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 躍場が二つもある高い階段を軽くあがつて、十六ばかりの女給仕が社長室の扉をそつと叩いた。
「よろしい。」社長の松村初造はちよいと顔を蹙めたが、すぐ何気ない風になつて、給仕を呼入れた。
「あの、田代さんからお電話でございますが。」
「うむ。」
「只今からお伺ひいたしたいんでございますが……。」
「居ると云つたか。僕が、ここに。」松村はうるささうに中途で給仕の詞を遮つた。
「いいえ。あの……」給仕はおづおづしながら、
「何とも申しません。お待ち下さいと申しまして……。」
「ぢや。」松村は考へて、
「まだ会社へお出かけなりませんて、さう云うてね……。」終の詞をやや優しく云つたので、給仕はほつとして出て行かうとした。
「ああ、おい。」松村は給仕を呼びもどした。
「それからね、桑野が居つたら、ここへ来いつて云ふんだ。」
 彼は此一日に於てしなければならない仕事の順序を考へた。何より急ぐのは、長い間の経過をもつてゐて、近く三日前から急に差迫つて来たある埋立工事の事業資金調達仲介のことである。出資者は金を出す、事業経営者は二流担保ではあるが担保を出すことまでは極つたが、貸借は直接関係でしたくはない。それは金主と事業者との間に一面識もないからであるのと、も一つ複雑したいきさつが纏はつてゐるからである。もともとこの話は松村と同窓の友人である白川奨の口から始つたので、白川は此資金が産む果実をとつて、自己の担任せる訴訟事件示談金の財源にしようと企てた。彼は出資者たる戸畑を相手として進行して居た訴訟を示談によつて終結させたいと思つて戸畑側と熱心なる交渉を重ねた結果、戸畑は五万円迄の資金を白川が確実なりとし戸畑の腑にも落ちる方法によつて支出する。それによつて得た利益は白川の自由に処分せしむる代はりに白川が依頼されてある訴訟は取下げて示談にする。かう云ふ成行から引出し得べき資金の利用方法を白川は松村に相談し、松村は之を間
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