臓品と云ふものはまだ一品も警察へは出て居ないのである。
亭主は首を俛《うなだ》れてぢつと足許を見て居るばかりで、
「なんにもありません。」と云ひ切つて、其外のことは一語も云はない。
お巡査《まはり》さんは女房を呼びかけて、同じことを云つた。女房はたゞ黙つて居る。
「家《や》さがしをするが、いゝか」
お巡査さんはとうとう靴に手をかけた。いくらか脅《おどか》し気味でもあつた。尋常にぬげばすぐぬげる短靴《たんぐつ》が、ちよつと脱ぎ悪くさうにも見えた。さつきから前栽の傍まで押しよせて、遠巻に見て居た村民の目には、気色ばんだお巡査さんの様子が読みとられた。中にはそつと唾をのみこんだものもあつた。
お巡査《まはり》さんはたうとう靴をぬいだ。身をねぢつて茶の間の方へ向き直りながら立ち上つた。がちやりと剣の音がした。
女房の耳にはたしかに此剣の音が響いた。蒼かつた顔が一きは引きしまつた。口は結んだまゝである。
つかつかとお巡査《まはり》さんは、室内へ押し込んで行つた。案内もまたずに座敷の中を覗いた。座敷と云つても藁莚を敷いた六畳ほどの何の飾もない垢にまみれた室である。次に寝間をのぞいた。一方は座敷の壁に、奥は目なし壁にしきられて、左手の高い窓から僅に日光をとりいれてあるつきりの、まるで夜の様である。小汚い寝具とぼろ着物が二三枚片隅によせかけてあつて、其外になんにもない。箪笥どころか箱らしいものすら見えない。顔をつきいれると、小便くさい臭が鼻をついてむせかへる程であつた。
お巡査《まはり》さんは顔をしかめて歩みをもどした。なんにもない筈がないと思つて居た疑は、全く消え去つたのではないのであるが、さてどうしていゝか解らなかつた。で、やつぱり女房を責めつける外はないと思つて、ゐろり[#「ゐろり」に傍点]のはたの上座へむづと坐つた。
「こら。」お巡査《まはり》さんは女房をぢつと見つめた。
「どうした。品物はどこへやつた。」
「おらとこ[#「おらとこ」に傍点]でどうさしやつたか、おらあちつとも知らんがでござんす。」
女房は恐しくないことは決してない。鬼にでも攫まれたやうにさつきから身うちがふるへて居たのである。一所懸命になつて、爐縁に両手をついて見たり、お腹の中に手をさしこんで見たり、落ちつかう落ちつかうと心の中ではいろいろにあせつて見たりして、やつと之れまでもちこたへて来たのであつたが、お巡査さんが近く目の前に来て、きつとなつて、品物はどこへやつたと責めつけて来たとき、どうしたわけか、彼の頭の中に少しゆとりが出来て来た。返事もすらすらと云ひ得るやうになつた。人知れずほつと呼吸したやうな気持にもなつた。「之れなら落ちつける。」彼はかう思つて一寸も動くまいと覚悟を新しくした。
「貴様が知らんと云ふ筈があるか。」お巡査《まはり》さんは女房が落着はらつた体を見て、詞を荒らげた。此次の女の出様によつては、殴りつけもしかねない気色にも見えた。
親様のおつかさま[#「おつかさま」に傍点]は見るに見かねて、中にはひつてやらうと思つた。自分もゐろり[#「ゐろり」に傍点]ばたまで行つて、女房に云ひきかさうとした。
「おつかあ、それはわるいこつたがなあ。」
かう云つたとき此人は仏のやうな心になつて居た。土蔵をあける用事がなかつたので、四五日はなんにも知らずに居たのが、始めて盗まれたと気のついたときの驚き。よく見まはすと、処々に蝋燭のたれ[#「たれ」に傍点]がおちて居る、一番いゝものを入れて置く箪笥が二抽斗《ふたひきだし》とも空になつて居るので、一度は呆れ一度は怒りもしたこと。旦那様をよんで来て、こまかに調べて見ると、煙草入はあるが緒〆の珊瑚がはづしてある、家重代の伝はりものゝ印籠までが小箪笥の中からとり出されてしまつてある、どれほど胆の太い泥棒であるであらうか、殆ど物語にもありさうな宝蔵破りを思ひ浮べて、恐しさに二人顔を見合せて、しばらく詞も出なかつたこと。夕方になると、何ものかゞ土蔵のまはりにでも忍び寄つて居ると思はれるやうな、土蔵の中には人気がして、はひつて行つたら、恐しい眼で睨まれやしないかと思はれるやうな不気味がつゞいたこと。それが朝夕出入をして居る儀平とこの親父《とつさあ》の仕業であつたと聞いた時は、驚きも怪みも一つになつて心頭から憤《いきどほり》が炎《ほのほ》のやうにもえたつた。先刻《さつき》もお巡査さんの前に散々本人をきめつけた。臓品のありかを捜《さが》したいから証拠人になつて来て貰ひたいと云はれて、一儀もなく自分で出て来たときの心持では、どこの隅隅からでも引つ張り出さずにおくものかと云ふ気組で居たのであつたが、生来おもひやり深い此人の気立からして今此家の内の、むさくるしい、貧しい、どうして食つて行つてるかすら分らない有様を見ると、怒も憎
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