共と一しよに野良に働いた。屑綿を前垂に一杯位貰つて行くことは毎日の様であり、籠から下ろすとき折れた大根なども沢山家へもつてかへつた。刈上祝《かりあげいはひ》の餠搗の相どりをしたあとで、大きな福手餠《ふくてもち》を子供に貰つてやつたら、彼等は目を丸くして喜び勇んだこともあつた。小作米が蔵《くら》に運ばれて、扉前《とまえ》で桝を入れる。夕方跡を掃くと一合位は砂に交つた溢米《こぼれまい》が彼の所得となつた。さもしいと云はれたつてそれやこれやで一冬は楽にすごすことも出来た。彼は思ひ返して見て、闇の中で独りでに心の勇むのを感じた。
 台所口の戸を明けて、のつそりと彼は親様の家へはひつた、大きな釜場につゞいて深く切つた爐がある。去年からの女中が一人柴を焚いて湯を沸して居る。ランプが一つ中の梁から釣り下げられて手のやつと届く程の処に光つて居る。一寸見たつて顔色がはつきり分らない。女中はすかすやうにして彼を見つめた。そして
「おや、まあ。」圧《おさ》へつけた様な声で呟いた。そしてせつせと柴を折りくべる方に気を取られた振りをしたなり、
「儀平どんのかゝさあ。」かう云つたが、あとを云ふべき辞を知らないで、もぢもぢして居た。
 彼女はわざとしらじらしく、
「お晩になりました。」と云つてすぐと茶の間へ通つた。
 坊さん嫌の大旦那は奥座敷へ引こんでしまひ、若旦那は留守であつた。お茶場に、おつかさま[#「おつかさま」に傍点]、下座《したざ》に姉様《あねさま》が、何れも説教者の方へ顔を向けて一心にお使僧の説教に聞入つて居た。村の人は二十四五人も集まつて居た。彼女がそつと歩みよつた閾際から言へば、みんなうしろを向いて居る。腰をおろして坐つたときに大勢は何にも知らなかつた。
 ふつと横を見ると閾際《しきゐぎは》に誰やら手をついてお辞儀をして居るので、おつかさま[#「おつかさま」に傍点]は初めて新たに人が来たのを感付いた。それでもまさか儀平の女房であらうとは思ひ寄らなかつた。
「よう来たなう。」説教者にも聴聞者にも気の散れることのないやうに、小声でかう云つて、手で指図をしようとした。女はやはりうつぶした儘である。
「誰だい。」おつかさま[#「おつかさま」に傍点]は少し声を張つた。
 大勢の人の顔が一しよに動いて戸口の方に向いた。説教者もちよつと詞を切つて、上座の方から見下ろす様にして戸口の人を呼びかけた。
「初まつて居るのだぜ。ずつと前にござらつしやい。」
 燭台の灯《ともしび》と彼女の姿との間に大きな影があつて戸口は薄くらがりになつて居た。その影になつて居た老人が少しく体をねぢつた。明りは何ものの遮りもなく彼女の横顔に光をさしつけた。
「儀平とこのかか[#「かか」に傍点]だないか。」
 おつかさま[#「おつかさま」に傍点]は、半ば驚き半ば怪んだ。
「はい。」彼女はたつた一言を云ひ得たきりであつた。
 このあとをどう云つていゝかおつかさま[#「おつかさま」に傍点]にもわからなくなつて来た。村の人々もこの思ひがけない出来事に肝を潰して、挨拶の仕方もないやうであつた。お説教がやがて続き出したのをいゝしほ[#「しほ」に傍点]だとも思つたらしく、みんながもとの様に正面向《まとも》に身体を直した。大きな影が再び彼女と灯との間を遮つた。
「おれもお聴聞《ちやうもん》に来ました。」
 暗い蔭から死ぬやうな声で彼は云つた。
「かかあ[#「かかあ」に傍点]。前へ出らしやい。」
 一番近くに居た姉様《あねさま》は、姑《しうとめ》の心を測りかねたが、取りなしをするつもりで、
「そこは入口だがなう。もつと前へ出たはうがいゝがなう。」
 彼は優しい姉様《あねさま》だと思つた。その詞について少しゐざつて、二尺程膝をすゝめた。それでも折り曲げた足の先が閾にさはるほどの端近である。かうしてやうやうのことで彼女は此の室内の一人となつた。けれども村の人々のまはりに漂つて居る空気と、彼女一人を包んで居る空気とは、丸で別々のものであつた。たとひ何十人あらうとも彼等と彼等との間には一脈の情味が流れ通うて居るが、彼女と彼等との間には、何の交渉もない。彼女一人は突然の闖入者にすぎないのである。只無智無自覚である此女にも、孤独の寂しさに堪へることの出来ない本能的慾望が、盲目ながらも根強く働いて居た。宇宙の大法則に引きずられて彼は今こゝに衆人の冷たい顧眄《ながしめ》を慕うて来た。しかも人はどの様な気分を以て彼を迎へたか。愚かな女にもすぐ想像が出来た。そして其想像が少しも間違はなかつた。「盗人の妻」はやつばり「盗人の妻」であつた。優しいと思つた姉様の親切な詞につり出されて、やつと片隅の一人となることはなつたものの、彼はそれで満足は得られなかつた。嫉《ねたみ》と邪《よこしま》とがむらむらと彼の心に湧き立つた。こんな
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