はれるこなしがちつとも見えない。あのきりやうでじやらじやらされては却つて辟易《へきえき》するかも知れぬが、盛り場に育つてここに年中呼吸して居る女とはどうしても思はれない。

 その次にお糸さんに遇つたのは一年ほど経つてからであつた。東京座で団蔵の師直と梅幸のお岩とが呼物で大層な景気であつた。私は家内と子供をつれて見物に行つた。其日お糸さんも三業組合の連中で私達のつい傍の桝《ます》へ来て居《を》つた。私を見付けるとやつて来て何やかや話をして居た。家内にも挨拶をして居た。「おもちやさんも来てますよ、」と云つて、
「あすこの土間で、お納戸《なんど》色の羽織をきて、高島田に結《い》つてませう。いまちよいと中腰になつてます、あれですよ、」
と指さして居ると、おもちやもふつとこちらを向いた。お糸さんはおいでおいでをした、「なあに。」と云つたやうなこなしをして私の方へ桝の枠をつたはつて来た。
「栗村さんよ。おもちやさん。」
「まあ、」と云つておもちやは頭を下げた。
「大きくなつたなあ。」私は本統にかう云はずに居られなかつた。「もう立派な姐さんになつたね。」
「え、え、此頃はもう、隅におけませんよ。」お糸さんは蓮葉《はすつぱ》に云つた。
「いやよ姐さん。」眼のぱつちりした、額付の広いところがお酌の時のおもかげそのままではあるが、女になり切つてしまつたところが、其日の私には珍らしいのであつた。
「此人だあね、」と私は家内を振り返つて、
「歌さへ歌はなけりやいい人だと云つたのは。」
「さうでしたか、」と家内も笑つた。
「そんなこと、まだおぼえていらしつたんですか、」とおもちやも笑つた。
 次の幕合《まくあひ》にお糸さんは、子供にと云つておもちやの箱を買つて来てくれた。そして此|楽屋《がくや》裏にお岩様を祭つてあるからお参りにいらつしやいと誘つた。
「可愛いお嬢さんですこと、本統に可愛いんですこと、」
と云つて娘の手を引いてくれた。私達もその跡についた。楽屋のうす暗い二階を上つたところに祭壇がある。初穂《はつほ》、野菜、尾頭付の魚、供物《ぐもつ》がずつとならんで、絵行燈《ゑあんどん》や提灯や、色色の旗がそこ一杯に飾られて、稍奥まつた処にある祠《ほこら》には、線香の烟が濛《まう》として、蝋燭の火がどんよりちらついて居る。お糸さんは祠の前へ跪坐《きざ》して叮嚀《ていねい》に礼拝した。
「何を願つて来たの、どうかいい人を授けて下さいかね。」
「商売繁昌をお願ひ申したんですわ。」
「ここへ来てもまだ慾張つてゐるんか。」
「一番当りさはりがなくつていいでせう。」
「神様の前に当りさはりを考へてゐるものがあるものか。」
「当りさはりつて云へば、いつかはいろいろ御心配をかけまして、あの裁判の事で。」
「どうしたね。種田君から一寸聞いたけれど。」
「お蔭様でねえ。あたしお話伺つてすつかり安心しちまひまして、夕飯まで遊ばせて戴いたんでせう。帰つたのが十時頃でしたわ。内ぢやお昼過ぎに出たつきりなもんですからどうしたんだらうと云つて心配してゐましたつてさ。私の顔を見るとどこへ行つてゐたんだよつて、姐さんが申しますの。これこれだと話をすると、それはまあよかつたと皆が喜んでくれましてね。それでもあたしばかりそんな呑気に御馳走になつたりなんどしていいけど、内ぢや大そう心配して居たんですから、姐さんの前へきまりがわるくなりましてね。」
「それで裁判所へ行つたの。」
「ええ、行きました。午前九時つてますから、一生懸命に朝起して出かけましたの。十一時頃まで、あの廊下の椅子の処で待たされて散々になつちまひました。判事さんの前へ行きますと、お前は誰だつて、大そう威張つてねえ。」私達はもう舞台の廊下に来て居つた。単物《ひとへもの》からセルへうつる時候で、生憎《あひにく》其日は蒸《むし》熱いので、長い幕合を涼みがてら廊下に出て居る人が多かつた。
「それから………と云ふ者を知つてるかとおつしやいますから、へいと申しました。どうしておあしをやつたかとおたづねになりますから、ふだん懇意にしてますからと申しますと、懇意にしてるからつておあしをやるやつがあるかとどなられましたの、もうあたし震《ふる》ひ上《あが》つちまひました。」
 そこへおもちやもやつて来た。
「姐さん夢中ね。」
「ああ。あの裁判のお話さ。」
「さう。」
「大きくなつたなあ。」私はまたかうくりかへした。「いくつかね。」
「十八になりました。」
「もう四五年もたつたからなあ。」
「この頃はちよつともいらしつて下さらないんですもの。ねえ姐さん。」
「新橋の方がそりや上等ですもの。」
「そんな訳ぢやないんだ。すつかり納まつてしまつたんだよ。さうさう。此間やまと新聞かで品川芸者の評判記が出てゐたが、おもちやさんが一流の流行つ児だと書いてあつ
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