ると、こんどはあの婆さんが来て、年始の手拭を何反とかこさへてくれと云ふんだ。」
「そんな事がありましたかしら、そしてどうなすつたの。」
「まさかいけないとは云はれないぢやないか、いくら位いるんだと、わざと問うてやつたのさ。大したことではありませんと云ふから、之れで間に合しておけと云つて、拾円ふだを一枚おいてきた。小一年にもなる女だから、それ位のことは惜しくもないさ、惜しくつともまあ惜しくないつてことにしておくさ。けれど甘く見てやがるかと思ふと、癪にさはつたよ。」
「それでも貴方は、あの人一人つきりにしておおきなすつたわね。」
「かへたつてどうなるものか。」
「だから今夜行つておあげなさいよ。」
「もう真平《まつぴら》だ。」
 かうは云つたけれど、私はどんなにして居るか遇つて見たいと思はぬでもなかつた。四年もたてば、私も変つた。女も変つたであらう。どれほど変つたか遇つて様子が見たかつた。しかし突然今私が行つたら女は何と思ふであらう。私はかう云ふ種類の女に対しても常にある憧憬《どうけい》をもつてゐる。もし私の憧憬する幻をもととして、私にあつた今夜の女の心持を想像して見ると、女は屹度《きつと》羞《はづ》かしいと思ふであらう。四年にもなる今日迄、まだこんな態《ざま》をして居りますと云はなければならない女の苦痛は、決してなみ大抵ではあるまい。
「今日来て下さる丈の親切のある方なら、なぜ顔を見ずに帰つて下さらなかつた、」と云つて、口に出さぬまでも心に怨めしく思ふであらう。それ程|辛《つら》い思を女がするだらうと思つてるのに、そのつらさうな顔を見に行くのは、私はあまり惨《むご》い為打《しうち》であると思つた。もし又私の想像に反して、女が案外平気で洒蛙洒蛙《しやあしやあ》して居つたら、私の美しい憧憬は破れ、私の美しい幻は即座に消えてしまふであらう。さうなれば私の方で苦痛だ。私はまだ夢の中の人間となつて居りたいのであつた。
「何しろ今日は看護人なんだから、」と云つて、九時少し過ぎに「桔梗」を出た。
 乾ききつた寒中の夜の風は、外套の袖をつらぬく程であつた。折角《せつかく》暖かになつた二人の身体はまた凍り付くかと思はれた。種田君は梢《やや》確《たしか》な歩調を運ばせ乍ら、
「どうも不思議でならん、」と呟いた。
「何がです。」
「あすこの内のものの親切がさ。実に今夜なども有難い位であつた
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