云つて種田君の外套に手をかけて半ば脱《ぬ》ぎかけたのを受取つて、
「全くねえ、あんまりなんですもの、」と訳の分らぬことを云ひつつ,お仲さんの袖をひいて、
「お二階はなんだしね。」
「一寸休ませて貰へばいいんだ、奥でいいんだよ、」と種田君は中腰になつて火鉢に手をかざした。
「今日は穴守の帰りさ。種田さんが気分がわるいと云ふんで、奥さんの承認を経てここへ来たんだ。あたたかくしてやつてくれ給へ。」
 二人はやがて奥へ通つた。座蒲団が薄いからつて二つも重ねてくれたり、火鉢は二つで足りないつて三つに火をかんかんおこしてくれたりして、お糸さんは一人でせかせか働いて居た。少し落付くと種田君も気分が直つた。お腹《なか》がすいたので何かの誂《あつらへ》もした。お糸さんは湯婆《ゆたんぽ》をこさへて寝巻と一つにもつて来て、
「まあこれでも抱いて、お寝巻をおひきなさいまし、本統にびつくりしましたわ。それでも忘れて下さらなかつたんですわねえ。」と云つて気をかへて、
「種田さんは長いことおわるくいらつしつたんですつて、お話は承つてをりましたんですけど、お見舞も致しませんですみません。ちつとはおよろしいんですか。まだおわるさうね。お困りですことねえ。」
「こんないい人が、こんな病気になるつてのは実に天道様《てんたうさま》もひどいよ。」
「全くねえ。どこがお悪くいらつしやいますんです。」
「ここの辺だ、」と種田君は腰のまはりを撫でて、
「腰がふらふらするのでね。」
「まあ、どうしてそんな御病気に。」
「道楽の報《むく》いさ。」種田君は笑ひ乍ら云つた。
「貴方にそんなことがあるもんですか。ねえ栗村さん。それはさうと少しはおあつたかくなりましたの。」
「大きに。お蔭で、結構、結構。すつかりいい気分になつた。おもちやさんでも呼んで貰はうか。」
「およろしいんですか。そんなことをなすつても。」
「おもちやが来たつて、口説《くど》くと云ふ訳ぢやないぢやないか。」
「あら、さうでしたわねえ、」とお糸さんは、立つて膳を運ぶやら、寂しいから景気づけにと銚子を一本もつてくるやらして居た。間もなくおもちやが来た。
「いよう。」種田君はこの大人《おとな》びた女の姿を好奇の目で迎へた。
「いやよそんなに、あたしの顔ばつかり見ていらしつて。」
「別嬪《べつぴん》になつたねえ。」間延《まのび》の口調がいかにも誇張のない驚きを
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