い、小胆ものである。家系を調べて見ると神経病で伯父が死んだ。父の死方も或は自殺らしいと云ふ噂もあることが稍後になつて解つた。
 さて此男はなぜに泣いたか。声を挙げて泣き出したか。拘留されて以来、彼は余りに多く恐れた。初めて審問廷へ引き入れられて、初めて捜査官の前に立つたとき、もう身内は顫《ふる》へた。魂は悸《ふる》へた。何事か訳の解らぬことを問はれて、訳の解らぬことを答へた。日記や書信が彼の面前に展げられ、彼のわくわくした心の上に読みおろされたとき、そんな激しい文字を使ひ合つて居た当時の気分が自分で了解し悪《にく》い程であつた。「迫害が来た。迫害が来た。正義の為に奮闘するものは如此迫害さる。噫又吁 四五日内のニウスに注意せよ。」之は誰からの端書であつたか、匿名故、何の時の事やら彼は思出す余裕がなかつた。「神田街頭に於ける、ヽヽヽヽヽの奮闘はあつばれ武者振勇しかつたぞ。俺も上京して応援したいんだけれども知つての通りの境遇だから悪しからず思つてくれ。」之は赤旗事件の時に桃木に宛てた端書である。「今夜活動写真を見る.鉱夫の二三人が手に手に持つたハツパを擲げつけると、鉄のやうな巌壁が粉韲せらる。何たる痛快事ぞ。」「硝石……塩酸加里。我は本日漸くこれを得たり。宿望漸く端緒を開く。」「本日何某来る。彼は我党中の先輩である。余は此意味に於て彼を敬す。然りと雖も彼は実行者ではない。」彼の日記は彼の衒気、強がり、軽率なる義憤に充ちて居た。彼はもとより其自署を否認するやうなことを敢てしなかつた。たゞしかしこんな無造作に作られた端書や日記の文章が、どうして自分の極重悪罪を決定する材料となるのであらうかと云ふことを知らなかつた。それから大それた不軌を図つたと云ふこと、丁度一年半程前に、紀州の石川を堀江の或旅館に訪問した等のことが原因であり実行であるのだと云ふこと、誰が何を云つて、自分が何を聞いたか。もとより時にふれ折にふれては、自分は軽挙し妄動をし居たのである。座談に一場の快を取つて、その胸の血を湧かせたに止まる。二三日たてば何でもなくなつてしまふ。彼は一年半前の記憶を繰り出す間に、更に更に大きく叱られた。
 彼はその時の光景を想ひ起したのだ。午後から引続いての審問に捜査官も疲れた。彼は勿論疲れた。動悸は少し鎮つたが夕飯は喉へ通らない。やうやく貰つた一杯の茶も土臭い臭がして呑み乾すことも出
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