守は太田ひとりの運動の時には別に監視するでもなく、その間植木をいじったり、普通病舎の方の庭に切り花を取りに行ったりして、運動時間なども厳格な制限もなくルーズだったが、さて、話をするほどの機会はなかなか来なかった。しかし、普通病舎の庭に咲き誇った秋菊の移植が始まり、ちょうどある日の太田の運動時間に三、四人の雑役夫が植木鉢《うえきばち》をかかえて来た時に、花好きな老看守はそっちの方へ行ってしまい、ついに絶好のその機会が来たと思われた。折よく便所へでも立ったのであろうか、ガラス窓の彼方《かなた》に岡田の立ち姿を認めた時、太田は非常な勇気をふるって躊躇《ちゅうちょ》することなく真直《まっす》ぐに進んで行った。そして窓の下に立った。
 上と下で二人の視線がカッチリと出会った時、妙に表情の硬《こわ》ばるのを意識しながら、太田は強《し》いて笑顔を作った。
「岡田君ですか」太田はあらゆる感情をこめて、ただ岡田の名をのみ呼んだ。そしてしばらくだまった。「僕は太田です。太田二郎です。(原文三字欠)にいた(原文二字欠)、知っていますか」
 毎日もう幾回となく、始めて二人が顔を合わせた時のことを想像し、その時
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