うはっきりしたものではなかったし、それに岡田は三・一五の検挙には洩《も》れた一人であったから、その後彼の捕われたことを少しも知らなかった太田が、異様な癩病患者を見てどこかで見たことがある男と思いながらも、すぐに岡田であると認め得なかったことは当然であった。かの癩病患者が岡田良造であることを知り、そのおどろきの与えた興奮がやや落ち着いて行くにつれて、岡田は一体いつ捕われたのであろう、そしていつからあんな病気にかかったのであろう、少しもそんな素ぶりは見せないが、彼ははたして自分が太田二郎であることを知っているだろうか、いずれにしても自分は彼に対してどういう風に話しかけていったらいいだろうか、いや、第一、話しかけるべきであろうか、それとも黙っているべきであろうか、などといういろいろな疑問がそれからそれへと太田の昏迷《こんめい》した頭脳をかけめぐるのであった。
 その翌日、運動時間を待ちかねて、彼は今までにかつてない恐怖の念をもって運動中のかの男の顔を見たのである。初めは恐る恐る偸《ぬす》み見たが、次第に太田の眼はじっと男の顔に釘《くぎ》づけになったまま動かなかった。そういわれて見ればなるほど
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