的な響きを持っている獄死という言葉が、今は冷酷な現実として自分自身に迫りつつある。今はもう不可抗的な自然力と化した病気の外に、磐石《ばんじゃく》のような重さをもってのしかかっている国家権力がある。ああ、俺もこれで死ぬるのかと思いながら、今までここで死んで行った多くの病人たちの口にした、看病夫の持って来てくれる水飴のあまさを舌に溶かしつつ太田の心は案外に平静であった。俺たちの運命は獄中の病死か、ガルゲンか、そのどっちかさ、なぞとある種の感激に酔いながら、昔若い同志たちと語り合った当時の興奮もなく、肩を怒らした反抗もなく、そうかといってやたらに生きたいともがく嗚咽《おえつ》に似た心の乱れもなく、――深い諦めに似た心持があるのみであった。この気持がどこから来るか、それは自分自身にもわからなかった。その間にも彼は絶えずもうしばらく見ない岡田の顔を夢に見つづけた。言葉でははっきりと言い現わしがたい深い精神的な感動を、彼から受けたことを、はっきりと自覚していたためであったろう。
 太田にとっては岡田良造は畏敬《いけい》すべき存在であった。ただ、この言語に絶した苛酷な運命にさいなまれた人間の、心のほんとうの奥底は依然うかがい知るべくもないのであった。失われた自由がそれを拒んだ。太田は寂しい諦めを持つの外はなかった。――「僕は今までの考えを捨ててはいないよ」と語った岡田の一言は、すべてを物語っているかに見える。しかし、どんな苦しい心の闘いののちに、やはりそこに落ちつかなければならなかったか、という点になると依然として閉されたままであった。「僕は今までの考えをすててはいない、……」それは岡田の言うとおり、彼の何ものにも強制されない自由の声であることを太田は少しも疑わなかった。岡田にあっては彼の奉じた思想が、彼の温かい血潮のなかに溶けこみ、彼のいのちと一つになり、脈々として生きているのである。それはなんという羨《うら》やむべき境地であろう! 多少でも何ものかに強制された気持でそういう立場を固守しなければならず、無理にでもそこに心を落ちつけなければ安心ができないというのであれば、それは明らかに、彼の敗北である。しかし、そうでない限り、たといあのまま身体が腐って路傍に行き倒れても、岡田はじつに偉大なる勝利者なのである! 太田は岡田を畏敬し、羨望《せんぼう》した。しかしそうかといって、彼自身は岡田のような心の状態には至り得なかった。岡田の世界は太田にとってはついに願望の世界たるに止まったのである。――そこにも彼はまた寂しい諦めを感じた。
 刑務所の幹部職員の会議では、太田と岡田とを一つ棟におくことについて問題になっているということであった。そうした噂《うわ》さがどこからともなく流れて来た。二人が立ち話をしていたのを、一度巡回の看守長が遠くから見て担当看守に注意をしたことがあったのである。二人を引きはなす適当な処置が考えられているということであった。――だが、そうした懸念はやがて無用になった。太田の病気はずっと重くなったからである。
 粥《かゆ》も今はのどを通らなくなって一週間を経たある日の午後、医務の主任が来て突然太田の監房の扉をあけた。冷たい表情で無言のまま入って来た二人の看病夫が、彼を助け起し、囚衣を脱がせて新らしい浴衣《ゆかた》の袖を彼の手に通した。朦朧《もうろう》とした意識の底で、太田は本能的にその浴衣に故郷の老母のにおいをかいだのである。
 太田が用意された担架の上に移されると、二人の看病夫はそれを担《かつ》いで病舎を出て行った。肥《ふと》った医務主任がうつむきかげんにその後からついて行く。向うの病舎の庭がつきるあたりの門の側には、太田に執行停止の命令を伝えるためであろう、典獄補がこっちを向いて待っているのが見える。――そして担架でかつがれて行く太田が、心持ち首をあげて自分の今までいた方角をじっと見やった時に、彼方の病室の窓の鉄格子につかまって、半ば伸び上りかげんに自分を見送っている岡田良造の、今はもう肉のたるんだ下ぶくれの顔を見たように思ったのであるが、やがて彼の意識は次第に痺れて行き、そのまま深い昏睡のなかに落ちこんでしまったのである……。



底本:「日本の文学 第40巻」中央公論社
入力:山形幸彦
校正:野口英司
1998年8月20日公開
2005年12月22日修正
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