び》しい目つきでいつまでもじっと人の顔を見つめるようになり、間もなく寒くなる前に死んでしまった。
さきに言ったように太田は癩病患者と棟を同じくして住んでいた。
半ば物恐ろしさと半ば好奇心とから、彼はこの異常な病人の生活を注目して見るようになった。――雑居房の四人の癩病人は、運動の時間が来るとぞろぞろと広い庭の日向《ひなた》へ出て行った。太田はその時始めて、彼らの一々の面貌《めんぼう》をはっきり見ることができたのである。色のさめた柿色の囚衣を前のはだけたままに着てのろのろと歩み、じっとうずくまり、ふと思い出したように小刻みに走ってみ、または何を思い出したのかさもさもおかしくてたまらないといった風に、ひっつったような声を出して笑ったりする、残暑の烈しい秋の日ざしのなかの、白昼公然たる彼らのたたずまいはすさまじいものの限りであった。四人のうち二人はまだ若く、一人は壮年で他の一人はすでに五十を越えているかと思われる老人であった。若者は二人とも不自然にてかてかと光る顔いろをし、首筋や頬《ほお》のどちらかには赤い大きな痣《あざ》のような型があった。人の顔を見る時には、まぶしそうに細い眇目《すがめ》をして見るのであるが、じっと注意して観《み》ると、すでに眼の黒玉はどっちかに片よっているのであった。二人とも二十歳をすぎて間もあるまいと思われる年ごろであるが、おそらくは少年時代のうちにもうこの病いが出たものであろう、自分の病気の恐ろしさについても深くは知らず、世の中もこんなものと軽く思いなしているらしい風情《ふぜい》が、他からもすぐに察せられ、嬉々《きき》として笑い興じている姿などは一層見る人の哀れさをそそるのである。――壮年の男は驚くほどに巌丈《がんじょう》な骨組みで、幅も厚さも並はずれた胸の上に、眉毛《まゆげ》の抜け落ちた猪首《いくび》の大きな頭が、両肩の間に無理に押し込んだようにのしかかっているのである。飛び出した円《まる》い大きな眼は、腐りかけた魚の眼そのままであった。白眼のなかに赤い血の脈が縦横に走っている。その巌丈な体躯《たいく》にもかかわらず、どうしたものか隻手で、残った右手も病気のために骨がまがりかけたままで伸びず、箸《はし》すらもよくは持てぬらしいのであった。彼は監房内にあって、時々何を思い出してか、おおっと唸《うな》り声を発して立ち上り、まっ裸になって手をふり足を上げ、大声を出しながら体操を始めることがあった。その食欲は底知れぬほどで、同居人の残飯は一粒も残さず平らげ、秋から冬にかけては、しばしば暴力をもって同居人の食料を強奪するので、若い他の二人は秋風が吹くころから、また一つ苦労の種がふえるのであった。――そしてこの男は、時々思い出したように、食いものと女とどっちがええ[#「ええ」に傍点]か、今ここに何でも好きな食いものと、女を一晩抱いて寝ることとどっちかをえらべ、といわれたら、お前たちはどっちをとるか、という質問を他の三人に向って発するのである。老人《としより》はにやにや笑って答えないが、若者の一人が真面目《まじめ》くさって考えこみ、多少ためらった末に「そりゃ、ごっつぉう[#「ごっつぉう」に傍点]の方がええ」と答え、「わしかてその方がええ」ともう一人の若者がそれに相槌《あいづち》を打つのを聞くと、その男は怒ったような破《わ》れ鐘《がね》のような声を出して怒鳴るのであった。「なんだと! へん、食いものの方がいいって! てめえたち、ここへ来てまでシャバにいた時みてえに嘘《うそ》ばっかりつきやがる。食いものはな、ここにいたって大して不自由はしねえんだ、三度三度食えるしな、ケトバシでも、たまにゃアンコロでも食えるんだ、……女はそうはいかねえや。てめえたち、そんなことを言う口の下から、毎晩ててんこう[#「ててんこう」に傍点]ばかししやがって、この野郎」それは感きわまったような声を出して、ああ、女が欲《ほ》しいなァと嘆息し、みんながどっと笑ってはやすと、それにはかまわずブツブツと口のなかでいつまでも何事かを呟《つぶや》いているのであった
最後の一人はもう五十を越えた老人でふだんはごく静かであった。顔はしなびて小さく眼はしょぼしょぼし、絶えず目脂《めやに》が流れ出ていた。両足の指先の肉は、すっかりコケ落ちて、草履を引っかけることもできず、足を紐《ひも》で草履の緒に結びつけていた。感覚が全然ないのであろう、泥《どろ》のついた履物《はきもの》のままずかずかと房内に入りこむのは始終のことであった。まだ若い時|田舎《いなか》の百姓家のいろりの端で居眠りをし、もうそのころは病気がかなり重って足先の感覚を失っていたのだが、その足を炉のなかに入れてブスブス焼けるのも知らないでいたという、その時の名残《なご》りの焼傷《やけど》の痕《あと》が残っ
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