の岡田の変り果てた姿かと思い、それまでじっと堪《こら》えながら凝視していたのがもう堪えがたくなって、窓から離れると寝台の上に横になり布団をかぶってなおもしばらくこらえていたが、やがてぼろぼろと涙がこぼれはじめ、太田はそのまま声を呑んで泣き出してしまったのである。
数えがたいほどの幾多の悲惨事が今までに階級的政治犯人の身の上に起った。ある同志の入獄中に彼の同志であり愛する妻であった女が子供をすてて、どっちかといえばむしろ敵の階級に属する男と出奔し、そのためにその同志は手ひどい精神的打撃を受けてついに没落して行った事実を太田はその時まざまざと憶い出したのであったが、そうした苦しみも、あるいはまた、親や妻や子など愛する者との獄中での死別の苦しみも――その他一切のどんな苦しみも、岡田の場合に比べては取り立てて言うがほどのことはないのである。それらのほかのすべての場合には、「時」がやがてはその苦悩を柔らげてくれる。何年か先の出獄の時を思えば望みが生じ、心はその予想だけでも軽く躍《おど》るのである。――今の岡田の場合はそんなことではない、彼にあっては万事がもうすでに終っているのだ。そういう岡田は今日、どういう気持で毎日を生きているのであろうか、今日自分自身が全く廃人であることを自覚しているはずの彼は、どんな気持を持ち続けているであろうか、共産主義者としてのみ生き甲斐を感じまた生きて来た彼は、今日でもなおその主義に対する信奉を失ってはいないであろうか、それとも宗教の前に屈伏してしまったであろうか、彼は自殺を考えなかったであろうか?
これらの測り知ることのできない疑問について知ることは、今の太田にとってはぞくぞくするような戦慄感を伴った興味であった。――いろいろと思い悩んだあげく、太田は思いきって岡田に話しかけてみることにした。変り果てた今の彼に話しかけることは惨酷な気持がしないではないが、知らぬ顔でお互いが今後何年かここに一緒に生活して行く苦しさに堪えられるものではない。そう決心して彼との対面の場合のことを想像すると、血が顔からすーと引いて行くのを感じ、太田は蒼白《そうはく》な面持で興奮した。
7
太田は運動の時にはちょうど岡田の監房の窓の下を通るので、話をするとすれば運動時間を利用するのが、一番いい方法なのであるが、その機会はなかなかに来なかった。担当の老看
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